不定期連載企画、懐かしの名盤ジャンジャカジャーンのシリーズ第8弾は、ポリスでお送りしている。僕が彼らの素晴らしき世界に触れたのは、デビュー翌年の1979年『Reggatta de Bianc / 白いレガッタ』からシングルカットされた「孤独のメッセージ」だった。おそらく多くの昭和40年男たちの記憶に残っていることだろう。続いてカットされた「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」や、さかのぼって聴いたデビューアルバムに収録されていた「ロクサーヌ」などに触れ、すっかりポリスの虜になった。
この不定期連載で何度か触れている、’70年代後半のロックシーンは実にドラスティックに動いた。まるでロックの神様がシナリオライターかのごとく、偶然で片付けられない騒ぎが数多く点在していて、以前にもこんなことやこんな風に書いた。ポリスがデビューして、僕たちの心を鷲掴みにした ’78〜’79年のシーンに絞って眺めてみると、ディーヴォがファーストアルバムを出していて、ちょうど同じ年にディスコサウンドを放ったストーンズをあざ笑うかのように「サティスファクション」をカバーしている。カーズ、スペシャルズ、プリテンターズなんて粋なヤツらが次々と現れ、「マイ・シャローナ」を送り出したナックは第2のビートルズなどとのキャッチコピーがつけられもてはやされた。ニコレット・ラーソンやリッキー・リー・ジョーンズのようなレーベルの威信をかけて投入されたものや、J・D・サウザーなんかのムード歌謡… じゃなかったAORもガンガン来ている。そんな百花繚乱のごときシーンの中で狂ってしまった大物はストーンズだけでなく、ザ・フーも『フー・アー・ユー』なるこれまた摩訶不思議なアルバムを出し、ここからシングルカットされたタイトルチューンは、なぜか国内のヒットチャートを駆け上がっていた。同じく大物のピンク・フロイドはさすがで秀作『ザ・ウォール』を大ヒットさせ、シングルカットした「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール (パート2)」は国内ヒットチャートで暴れていた。こうして並べると、僕ら昭和40年男がいかに幸せなのかと再確認させられる。凄まじい勢いと商魂たくましい連中を吟味しながら、音楽の魅力にドンドンハマっていったのだから。こんな賑々しいシーンの中でポリスは、頭1つどころか3つくらい飛び抜けた別格の凄みを持っていた。
まだまだロックの歴史は浅かった。ファーストジェネレーションとなったジミ・ヘンドリックスやジャニス、ディランのような天才たちが、音楽に常識なんかねえぜとまずリードしていった。一方やや遅れた感じで、天才がインテリジェントを兼ね備え、練り上げながら音楽をつくっていくビートルズに代表されるミュージシャンたちが生まれて、ロックが歩んでいくべき方向性を示唆した。これを受けてツェッペリンやザ・バンドといった不良インテリジェントが出てきて、天才破滅アート系とインテリコンテンポラリー系、不良インテリジェント系の三つ巴のカタチが ’60年代後期に出来上がり、それぞれをブレンドしながら新しいミュージシャンが次々と現れては消え、ロックそのものが進化を続けていったのが ’70年代で、その後期に必然のごとくポリスはシーンに飛び込んできた。
ポリスの奇跡は、3人が3人ともスーパーインテリジェントであったことで、とくにその司令塔であるスティングのインテリ具合といったら、クイーンのフレディやジミー・ペイジなんかでもかなわないのではないだろうか。ビートルズを超える存在になり得る可能性を持ったバンドは、ロックの歴史上でポリスだけかもしれない。(続く)