息子よ。

お前が生まれたとき〜で始まる杉田二郎さんの名曲『ANAK(息子)』が、朝から何度も流れているのは、今日がバカ息子の誕生日だからだ。立春なんでそのまま“たちはる”なんて読ませる名にしようかと悩んだほど、この日に生まれたことを喜んだ。きっと春を連れてくる男になるなんて、生まれたその日すでに親バカだった。…と、親になった方ならみな、子が誕生した日のことは強く記憶していることだろう。

実家に戻っていた女房は、25年前の今朝に破水してしまい、急遽分娩室に入った。初孫の誕生を前にきっと大慌てだっただろう義母は、僕の行方を捜すものの見つからない。前日が活動していたバンドのライブで、まさかこんなことになっているとも知らず朝方まで呑んだくれ、メンバー宅で沈没していた。まだ携帯電話なんかない時代だからつかまるはずがない。第一、予定日まで2週間以上あったし、前日のライブをひょっこり見に来ていたほどだ。まだまだ完全にノーマークだった。

無事に生まれた後になって、メンバー宅を疑った義母は電話を入れてきた。が、そのとき僕はメンバーの体調不良につき合って病院へ行っていてつかまらず、入院したとだけ伝言を残した。再びメンバー宅へ戻ってくるなり「大変」と聞き、すぐに病院にダイヤルした。破水から相当の長い時間に感じただろう、やっと義母と電話がつながると僕にとってはまさかまさかで、すでに生まれていることを告げられた。まず手と足は付いているのか。指は5本ずつあるか。何の異常もないのかを聞き、もっとも気になっていた性別を聞くのは最後になっていた。当時はまだ教える習慣はなく、ずっと気をもんでいたのにいざとなると後回しになり、いくつかの質問の後に男の子だと知り、万歳したのだった。バイト先の店長に電話を入れワガママを言うと快く休みをくれ、僕は病院へと急いだ。

病院に着き、ガラス越しで泣いている子供と面会したこの瞬間こそ、46歳になる人生においていまだ最大の喜びだ。そしてお産を終えた後の女房の姿に、生命体として男より優れているのだと、人間の根本のところでの強い尊敬を持った。だから不良品である男はせめて、懸命になって働くのだなと妙な納得をした日でもある。病院を後にして、馴染みの店でひとり喜びをかみしめながら呑んだ。旨かった。25歳にもなって大学に通うバカ息子ながら、大きな病気もなく育った。

昭和40年男だと、これから数年がもっとも子供に苦労する時期を迎えている方が多いだろう。高校大学と金がかかる上、進路や将来の不安はついてまわる。僕は子を持ったのが早かったから、タメ年たちよりも少し早めに通り抜けたが、やはりずいぶんと悩んだものだ。だが、バカ息子でもそれなりに考えているのであって、それなりの行動や人生の選択をしていくから、最近では無駄な悩みだったと笑うことが多い。今は男として逞しくなってくれることだけを期待して接している。

明日の晩は一杯呑る予定にしている。あのガラス越しの姿を思い出しながら酌み交わす酒は、きっとウマイだろう。

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1件のコメント

  1. おめでとうございます。佳き宴を! 僕が豚児と呑めるのは正式には57歳のときでずいぶん先だから、それまで斃れないように、アルコールで日夜体を消毒することにします。

    http://www.youtube.com/watch?v=HXiTtH_TOBU

    原曲はかまやつひろし。昔これを聴いて、いつか必ず子供を持つんだと強く決めた。

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