朝刊に今日は「時の記念日」だと記事が掲載されていた。なるほどと読み終えると、昨日をロックの日だと騒いだからか、友人から同じく今日は時の記念日だとメッセージが入っていた。お互いに時間を大切にしようとのことで、あらためてふんどしを締めた次第だ。ほぼ毎月頭に、時間の流れの早さに関する反省をしながらここでつぶやいては、ふんどしを締め直しているつもりなのだがまだ足りないようだ、アイタタタ。ともかく最近は還暦をどう上等で迎えてやろうかと考えることが多く、それにはあたり前田のクラッカーだがやるべきことをやり切ることだと命じながら、仕事にもプライベートにも懸命に取り組むことが癖にできた。まだまだ努力不足も否めないが、『昭和40年男』の創刊当時よりは格段に成長できたと思う。
そんな風に時間を大切にすべきだと日頃戒めている僕だから、昨日のロックの日は盛り上げながら考察を一歩奥へと踏み込ませたいと思い散々悩んで…と予想したがあっさりと選んだのはウッドストックのドキュメントムービーだった。長いから全部は観られなかったが、後半を後日の楽しみにとっておいた。
久しぶりに観てやはり、ロックとはなんぞやと強く問いかけてくれた。奇跡が起こっているのだ。愛と平和というスローガンのもとに集まった観衆と、そこへとメッセージを打ち込もうとするミュージシャンたちのテンションの高いこと。画面からあふれてくるのは、当時のアメリカの若者たちの迷いや悩み、ロックから見出したい “なにか” への強い期待感だ。ロックで結びつく人と人との魂の交流が、まるでエネルギーの玉になって投げ込まれてくるようでうれしくなってくる。そうか、1969年のイベントだから、これまたロックにちなんでいるのも偶然で片付けたくない。後にイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」で1969年のくだりを入れ込んでいるが、しばしば議論されるウッドストックを指しているのだと、僕はあの名曲をそう聴き込んでいる。
くどいが、昨日は、人ってのは奇跡を起こすんだなと何度も感じた。強い正義と若者の心がスパークして起きた、想定なんかをはるかに超えた奇跡であり、50年以上の月日が流れた今観てもパワーの衰えを全く感じない。むしろ現代はどうなのよとしばしばムカつきつつ、ロック万歳の夜を過ごした。大満足した翌日に時間を大切に生きようとふんどしが締められたのが、つくづく僕はロックに生かされているなと気分がよろしい。で、今日は次号より始まる新連載の現場だったから、なおいい気分だ。今後の残り少ない人生で、この2日を大切に盛り上げていこうと誓ったバカ者である。