なんだかここのところ、僕のつぶやきが『昭和45年女・1970年女』の大編集後記のようになってしまっている。創刊ってのは何度やってもタフな仕事だから、つぶやきたくなっちゃうのさ。
奥付と呼ばれる雑誌におけるエンドロールページがある。これを一生懸命作っているのは昨今の雑誌業界ではトレンドではないように感じられるが、旗振りしている僕が大好きなんだから堂々と作るのはあたり前田のクラッカーである。編集後記だってオワコンと呼ぶ編集者がいるかもしれないが、これも大好きなのさ。だが、今回の僕の立場は編集から一歩引いたプロデューサーの立場だ。雑誌作りの現場では結局あーだこーだとうざったく参画したものの、このページに編集後記を書くのはよろしくない。これが粋ってもんだと思っていたところ、編集長の竹部より創刊の挨拶を書いてほしいときた。あるあるだけど「えー、そうかなあ、まっ、しょうがない、やるか」的な、やりたい役柄を射止めた時の対応でペンを取った。あー、無粋不粋。今日はこの挨拶を全文つぶやかせていただこう。
手にしてくださった皆さんに、
こうしてご挨拶できる瞬間を迎えていることを至福に感じてます。
ありがとうございます。
僕が『昭和40年男』という雑誌を世に放ったのは、2009年の秋のことでした。
奇妙キテレツで前例のない雑誌でしたから、それはそれはバカにされました。
ただもしかしたら、めげずに続けたおかげで
誕生したこの一冊を奇異の目から守ってくれているのかもしれない…、
いや、それはないかな。
2009年の創刊時に僕はいくつもの夢を描きました。
そのなかで、特に強く僕をトキメかせたのが女性版の発行です。
が、夢はあまり人に話すものでないというのはそのとおりで、
打ち明ける度に笑われ、絶対に成功はないと諭され続けました。
でも、夢に時の流れと想いがかけ合わさると奇跡は起こるのですね。
僕のバカ話を理解してつき合ってくれる仲間に
ひとり、またひとりと出会うことができ今日に至りました。
僕は70年生まれでも、ましてや女でもありません。
そのハンデをいい方に向かわせろと自分に言い聞かせ、
周辺世代女性を理解しようとする日々を重ねてきました。
導き出したのは、元気な皆さんがもっと元気に、
そして明日へ向かってあたたかい夢を描いていただくことです。
いかがでしたか? どうかご意見をお寄せいただきたい。
それを生かして7月にまたお会いしたいと願ってます。
プロデューサー 北村明広
うんうん、タネも仕掛けもないまっすぐな挨拶である。稚拙すぎて褒められたものでないが、偽らざる想いだけを一直線に綴ってみた。って、いつもじゃん(笑)。もっと技巧を施した文章が書けるように、いつか私はなりたい。てなわけで、この創刊雑誌が必要のない『昭和40年男』読者の皆さんに、これだけは知っていただきたい心をつぶやかせていただいた。ご静聴、ありがとうございました。
Hilarious! Love you babe… this chick is lame. Embarrassing. 4415tillwedie
堀江美都子さんの取材を有難うございました♬
35年組も創刊を心待ちにしております♀️
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