我が輩は猫である。目が見えないうえ、耳も聞こえない。親に見捨てられ雨の中で泣いていたところを、この家に拾われてもう10年以上が経つ。8年前から犬が住みつくようになり、少々居心地は悪くなったが、真剣に相手しなければいいのである。
我が輩は犬である。熊本に生まれ、飛行機で羽田空港に着いたのが昨日のことのようだが、すでに8年もの年月が経つ。父親を亡くしてぽっかり空いてしまった飼い主の胸の穴を埋めるために、この家にやってきた。メシの量が少ないのは気に入らないが、多摩川の土手が近くて、散歩が楽しいのは気に入っている。
子育てもメドがついてきて、ペットでもと考えているタメ年の方が多いのではないだろうか? そこで我が家のペット事情を紹介しよう。自己紹介したこの2匹がいる。猫の方は本当に悲惨で、おっぱいももらえず、以前住んでいた家の脇に捨てられてピーピー泣いていたところに、手を差し伸べた。その数日後に、4匹を連れた母さん猫を見つけて急いでこの猫を差し出したが、フンと子供たちを連れて去ってしまった。生きられないとわかっている子供は、野良猫の世界では見捨てることになっているようだ。以来、我が家で面倒を見ることになったのだが、見えていた目がやがて光を失い、年を追うごとに目は白く濁っていった。耳が聞こえないことには、飼い始めてすぐにわかった。そんな状態だから、人間に対してすごく凶暴である。僕も何回か激しく攻撃されて血を流した。お客さんが来たときは別の部屋に閉じ込めておかないと、どんな惨劇が起こるかわからないほどの凶暴さである。猫の気持ちになれば、恐怖心なのだ。知らない人間の臭いや気配に恐れ、攻撃することで必死の抵抗をしている。
犬を飼い始めた頃は、しょっちゅうシャーシャーとうなりながら体毛を逆立てていたが、1年も経たないうちに慣れたようで、犬のどんな攻撃も受け流してしまう余裕ができた。慣れといえばスゴイのは、引越を2回経験しているが、そのたびに驚くほどの早さでレイアウトを覚える。引っ越した直後こそいろんな所にぶつかりながら歩くのだが、1週間もかからないうちに順応するのだ。トイレもえさの場所もキチンと覚えて、まるで見えているかのように過ごしている。10年前に捨てられた命が、こうしてどっこい生きている姿に勇気をもらう日々だ。
犬の方はいたって健康な雑種で、こっちはいつも明るく元気をくれる。番犬のつもりらしく、玄関に人の気配を感じると激しく吠えるのが欠点である。猫を強く意識している様子はなく、たまに気まぐれのごとくボディアタックする程度で、視覚と聴覚の2つの刺激の代わりにはちょうどいいかもしれないと笑っている。猫と犬の同居は難しいと聞くが、これほど難しい猫でも時間が解決するようだ。
猫も犬も癒しや安らぎを提供してくれるから、仕事のストレスが大きい我々世代には効果大で、その部分ではオススメできる。ただ、キチンと面倒を見ないとならないのは、飼ったことがない人が思っている以上に、とくに犬は大変であることを付け加えておく。