まだまだ続く、最新号のPRをつぶやかせていただこう。連載特集の “夢、あふれていた俺たちの時代” は昭和48年を切り取っている。沢田研二さんが「危険なふたり」をヒットさせた年で、盟友の大野克夫さんにたっぷり語ってもらった必見のページだ。
「危険なふたり」は、僕が歌謡曲に目覚めた曲の大きな1つかもしれない。それ以前にも、好んだ曲はあったかもしれないが、これほど強く心に残ったのは初めてだった気がする。今聴いてもやはり名曲であり、当時としては新鮮な楽曲だった。このヒットの後、俺たち世代がよく知る1等賞男になったかといえばそうではない。オリコンチャートで、ベストテン入りしない曲も多くある。「危険なふたり」で初めてオリコンチャート1位を記録して、次に1位を獲得したのは1年以上費やして♪ニ〜ナ〜が印象的な「追憶」だ。さらにさらに、これまた1等賞を獲得するのは時を隔てて翌年の「時の過ぎゆくままに」ということで、年1行事のようになっている。そして昭和51年にはついにナンバー1を獲得せずに、時は過ぎゆくままになってしまった。
誰もが♪あ〜あ〜で夢中になった「勝手にしやがれ」が昭和52年のレコード大賞で、その直後に始まった『ザ・ベストテン』によってジュリーは俺たちのジュリーとなる。小学校6年生の頃に見たあのレコード大賞のスーパースターと、小2の時に「危険なふたり」で見たジュリーは同一人物でありながらどこか違って感じた。そして「勝手にしやがれ」以降は全てのヒット曲で、そんなジュリー変幻を見せてくれた。この時期が、俺たちの成長や音楽にのめり込んでいく時期とシンクロするから、俺たちのジュリーなのである。
所属したタイガース解散が昭和46年の1月で、初のナンバーワンヒットまでのちょうどブリッジになっているのがロックバンドのPYGで、俺たちはあまりよく知らない。そりゃあそうだ、まだまだガキだ。後のソロ活動での大成功へとつながるキーパーソンの元ザ・スパイダーズの井上堯之さんと、今回お話をうかがった大野克夫さんが在籍した。さらにさらに、ショーケンとのダブルヴォーカルだったのだから驚きのバントなのだ。両名ともに役者としても成功したという点と、バンド解散後にソロ活動を充実させているという点は共通だが、俺たちが知るシンガーとしての2人はあまりにも異なる。太陽と月で、まるで美空ひばりと越路吹雪のようでもある。その起点となった曲の記事を俺たち世代は見逃してはならないですぞ。ぜひっ!!
初めまして。
私は2018年から復活したファンですので自分の正直な気持ちを書かせて頂きます。2000年テレビで観た太ってしまったジュリーにはガッカリしました。テレビに出るならキープした姿を観せてほしかったです!
キープはしていても郷ひろみさんのファンにはなれませんが、ファンの方々が羨ましくは思います。白髪もよし、シワもよし舘ひろしさんなんかは素敵に自然に年齢を重ねていると思います。ジュリーはテレビのCMをしていましたが、その時白髪でしたけど…正にこんな感じにダンディーになると思っていました。とはいえご本人が選んだ生き方ですから今更ですが…昔の面影なくとも現在もファンに愛されているのはジュリーだからですね!
私は昔の映像を楽しませて頂きながら今のジュリーの健康と80歳まで元気に歌って下さる事を祈り応援していきたいと思います。
昭和53年男です。日本の音楽シーンが変わった年とも私見ですが思ってます。ツイストが「銃爪」ザ・ベストテン10週連続1位。同「あんたのバラード」紅白出場。そして
沢田研二が「LOVE抱きしめたい」紅白大トリ。ニューミュージックが世間に認知されJ・POPが紅白のトリ(山口百恵「プレイバックPARTⅡ」と)。9月に彼のソロ活動50周年LIVE追加公演がありますが、人生初コンサート参加になりそうです。
小学生でジュリーと出会い、早50年
シャボン玉ホリデーでタイガース時代の『君をのせて』から始まり、『勝手にしやがれ』歌う時のイエロースリーピース。『カサブランカダンディ』の穴があいたジーンズにポケットサイズのウィスキー。ジュリーきどりで街を闊歩。大学の文化祭カラオケ大会で優勝! 今でも銀座、六本木辺りで、ピアノ演奏をバックに『時の過ぎゆくままに』 今でもジュリーファン 私の青春
沢田研二50周年記念7枚DVDaかいました。懐かしいジュリーのか首を傾げる歌い方、綺麗な手。
君だけに〜と指を指され、それは誰と限定されては、居ないけれど、勝手に自分に指先が向いてると思い込み嬉しかった若い頃の自分が甦る。
毎日、ジュリー三昧。
ジュリー、沢田研二さんには、良い人生のは一時を時間を頂きました。
青春時代に隣り近所からロックバンドの音がひっきりなしに聴こえてきたものです中でもタイガースのジュリーの人気は凄かった、懐かしいしあの時代をあのエレキギターを思い出すだけで幸せです、ジュリーは年数を重ねるにつれ伸びやかな声どんどん色っぽく誰にも真似出来ないくらい魅力が出てきてウットリさせてくれますこんなスターは2度と出てこないでしょうとにかくうますぎるよ
ヒャリコーメンディギャー❗フフフ
前回の昭和40年男と違い、大野克夫さんのコメントが入った事は嬉しく思います。ザ・タイガースのデビューから今日迄、長きにわたり、ファンであり続ける事が出来るのは、“沢田研二”ジュリーだけです。
私のジュリーは タイガースから始まる〜やっぱりGS時代からバンドで歌うジュリーが大好きです
ソロになってからも 井上バンドと活動してる頃が最高でした〜pegは GSのスーパースターが集結してたバンドでしたが…時代がついて来れなかったような気がしますね❗
しらかわあつこさん、コメントありがとうございます。
タイガースの頃はリアルタイムでははなたれ小僧で記憶にないです。おっしゃる通り、PYGは当時よくやったなと思わされますね。ソロになったショーケンでライブでのしいライト定番の「自由に歩いて愛して」なんて、今でもぶっ飛んだ名曲だと愛してます。
やっぱり、ジュリーは最高ね、長年ファンがついてくるのが分かるね。ジュリーは少し変わっているかもしれないけど、自分を貫く姿勢がファンの方の支持を受けているのかも知れないね。という事はかなりファンの方も変わり者なのかな、自然体で生きている姿をファンの前に出し、昔の綺麗なジュリーを脱ぎ捨ててそれでも、良かったらついてきて。本当に自然体テッペンを経験して、今は好きなように好きな歌を聴きたいファンの前でしか歌わないけどテッペンにいた方は皆さん体型を維持したり、顔のシワ・たるみを気にしてお直ししたりヒアルロン酸注入したり努力なさいますが、ジュリーは本当に自然に年齢を重ねた姿を皆さんに見せていますね。まあ、プロならビジュアルも大切ではありますが、そこを変えて生きて行く姿を皆さんに見せていますね
大内清昭さん、ご丁寧なコメントありがとうございます。その通りですね。
たくさんの夢を見させてもらったジュリーに感謝の気持ちで接したいですね。