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80年代のクルマ作りのあり方を示した名曲
2代目プレリュードは、デビューの翌83年にホンダがF1へ復帰したことも加わり、スポーツ&スペシャルティイメージを大きく高めた。そしてそれを補完するように85年、2リッターDOHC4バルブのB20Aユニットを載せたホットグレードの2.0Siが追加される。それ以前にセダンのアコードに積まれていたが、プレリュードにこそふさわしいパワーユニットであった。
「F1エンジンと同じ結晶塗装のカムカバーと、S800みたいなパワーバルジをつけて、“ホンダここにあり!” モードでしたね (笑)」(山辺)
「ロッカーアームによるバルブ駆動、PGM-FIによる燃料供給、その時点で我々が持っている技術をすべて注ぎ込みました」(川田)
開発当初は想像もしていなかったという “デートカー” なる新たな鉱脈も掘り当てて時代の寵児となった2代目ホンダ・プレリュード。その本質はクルマらしさ、ホンダらしさを追求した先にたどりついた、21世紀の今に至るニッポンもの作りの、稀なる名曲だった。40年以上の時を経た今、最前線にいた男ふたりは言う。
「あの時、あの制約のなかでよくやった。むしろいちばんいい時代だったのかと感じています」
■PROFILE
川田恵一/かわだけいいち
昭和26年、東京都生まれ。1971年に本田技術研究所入社。2代目プレリュードではバルブ駆動構造を含め、エンジン本体の設計を担った。同時期に始まったレース復帰計画では、F2用V6ユニットの先行開発にも参加。1.6リッターDOHCのZCや軽自動車用3気筒エンジンも手がけた
山辺 仁/やまべひとし
昭和17年、東京都生まれ。1964年に本田技術研究所入社。エンジンおよび駆動系技術者として、黎明期のホンダ4輪車開発に多く関わった。初代プレリュードが誕生した78年に始まった2代目開発では、エンジンテスト部門のPL (プロジェクトリーダー) を務めた
※この記事は、
『昭和40年男』2016年4月号/vol.36 初出
「s40モータース 第34回/ホンダ・プレリュード (その4)」を増補改訂しました。
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