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「エンジンのホンダ」という期待にどう応えようとしたのか?
(Honda Racing「2021年型パワーユニットの開発」より引用)
先日のF1グランプリ第2戦イモラで見事な優勝を遂げたマックス・フェルスタッペンが搭乗するレッドブル・レーシング・ホンダ。そのパワーユニットは、ホンダ開発陣が1年以上をかけて取り組んだチャレンジングな成果の結晶であった。
上記文面から、この戦いで開発陣が目指したのは、コンパクト化と低重心化を実現した上で、さらに高性能で、ということが読み取れる。
コンパクト化と低重心化は、燃費向上、挙動の安定性向上はもちろんだが、目指すべき全体のバランスやボディスタイリングに影響を及ぼす重要な要素でもある。
そこでだ。
俺たち昭和40年男が心底憧れた、あの80年代の名車、美しいスタイリングを極めた2代目ホンダ・プレリュードの開発秘話を振り返ってみよう。
この時もまさに、マイナス100mmの要請に応えるべく、コンパクト化と低重心化を目指し、不可能かと思われた苦闘の試みに開発者たちは挑み続けていた!
脈々と受け継がれていくホンダのチャレンジスピリットとは? そのルーツのひとつである物語から紐解いていこう。
(Web担当 M)
マイナス100 ㎜の苦闘
取材・文: 金子直樹 ※以下、本誌記事からの改訂版掲載の形でお送りします。
2代目プレリュードの開発において「マイナス100mm」の壁が常に立ちはだかってきた。スーパーカーばりにフロントノーズを100mmも下げるという野心は、ミドシップレイアウトならまだしも、フロントエンジン車にはまず不可能に思われた。
「しかし、そのパッケージは初期の段階で上層部が既定事項とした方向性だったので、現場はとにかく取り組まざるを得ませんでした」と、当時エンジンテストチームのプロジェクトリーダーを務めていた山辺 仁は振り返った。苦笑まじりの表情に、その時の驚きが今もうかがえる。
「そう。『できません』なんて口に出せる空気は、あの頃のホンダにはありませんでした」同じように苦笑したのは川田恵一、搭載されたESユニットの設計を担当した人物である。
クルマを構成する内部メカニズムの中で最も場所を取るうえ、これがなければそもそも始まらない。命であるパワートレーン開発の闘いが幕を開けた。
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