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相手がいながら弾く方が、おもしろいものが生まれる
82年、芳野は初のソロアルバム『YOSHINO FUJIMAL』を制作。その際に参加したメンバーと意気投合し、ABʼS を結成するとすぐレコーディングに突入した。
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「ABʼS には SHŌGUN になかったバンド感があり、特に (松下) 誠とのツインギターを互いの阿吽の呼吸で弾けたのが新鮮だった。週に4回集まって練習するのも、初心に戻れたようですごく楽しかったですね」
松下の脱退で85年に ABʼS も活動休止となったが、90年代後半以降、SHŌGUN も ABʼS もメンバーを変えながら何度か活動を再開させてきた。ABʼS は2020年現在もオリジナルメンバーの芳野、松下、岡本郭男 (ドラム) を中心にした編成で精力的な活動を続けているところだ。
「9月に新作とベスト盤を出し、10月には大阪と名古屋でライブをやりました。僕は飽き性だしわがままなので、一つのことを続けると別のことをやりたくなっちゃうんだけど、今はソロ活動よりなによりもこのバンドが好きだし、一緒に音を鳴らすのが楽しいんです」
作家がいて歌手がいた歌謡曲の時代から、自作自演が当たり前の時代へ。生楽器で曲を作る時代から、コンピュータで作る時代へと移り変わった。72年から長きにわたって音楽の世界で生き続け、歌謡界でもロック界でも功績を残し、その両方を結ぶ役割も果たしてきた芳野は、あの頃と今の違いをどうとらえているのだろうか。
「明らかに違うのは録音技術。録音技術の発達と共に日本の音楽は変化してきた。今はマルチチャンネルの録音が当たり前だし、宅録の機材もそろっているから一人でなんでもできるでしょ。でも昔は何人かのスタジオミュージシャンが同時にスタジオに入って、先輩ギタリストがリードを弾いて、僕がサイドを弾いて…。そうやって刺激し合いながら録っていた。僕は相手がいながら弾く方が、おもしろいものが出てくるタイプ。今は誠がその相手なんですけど、やっぱり相手がいて僕がいるっていうのがいいんですよね」
つのだ☆ひろ、ジョー山中、西城秀樹、SHŌGUN や ABʼS のメンバーたち…。振り返ると、確かに芳野は相手がいて触発されたときに巨大な創造性が発揮されるタイプのようだ。
「要するに人間が好きってことですね」。そう聞くと、ニヤッと笑ってこう答えるのだった。
「そうですね。まあ嫌いな人もなかにはいますけど (笑)」
■PROFILE: 芳野藤丸/よしのふじまる
昭和26年4月21日、北海道生まれ。1972年のプロデビュー後、73年に藤丸バンドを結成して西城秀樹の音楽活動をサポート。第一線のスタジオミュージシャンとして1万以上の楽曲セッションに参加。現在、ユニット AB’S を中心に活動中
※この記事は、
『昭和40年男』2020年12月号/vol.64 初出
「名曲にこの男あり レジェンドギタリスト 芳野藤丸」を改訂しました。
5/16(日) 芳野藤丸 70th Anniversary 古希記念スペシャルライブ
出演
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