自ら出演を直訴した『愛と誠』も爆発的人気に
西城秀樹のお茶の間人気を高めたのは、カレーのCMで見せる、庶民的で人なつっこいキャラクターに加え、TBSで高視聴率を誇っていた水曜劇場枠の人気ドラマ『寺内貫太郎一家』への出演も大きかった。秀樹は小林亜星演じる貫太郎の長男、周平を演じている。
「僕は俳優になるつもりはなかったし、ドラマも『あこがれ共同隊』(TBS系)など単発での出演はありましたが、2クールを2回という長丁場のレギュラー出演は初めてでした。『寺内~』では、樹木希林さんに育てられたという思いが強いですね。演出の久世光彦さんは、女性にはやさしいけれど男性陣には厳しいんですよ (笑)」
その『寺内貫太郎一家』で毎週、お約束のように登場するのが貫太郎と周平の取っ組み合いの親子げんかシーン。ある時、小林亜星に投げ飛ばされた秀樹が骨折してしまい入院するというハプニングも起きた。
「あれは、亜星さんが僕を投げる時の動きについて久世さんが怒ったので、亜星さんがあわてちゃったんです。僕は自分からポーンと飛んでいったんですが、打ちどころが悪くて骨折してしまった。まあ、久世さんは思っていた画が撮れればどんな手を使ってもOKな方でしたから (笑)」
俳優・西城秀樹といえば74年の映画『愛と誠』の太賀 誠役も忘れがたい。あの役は自身が望んで演じた役だったという。「僕はずっと『愛と誠』のマンガを読んでいて、その男っぽさが好きだったんです。映画になると聞いて、直接梶原一騎先生に誠役をやりたい!と直訴して、出演できることになったんです。監督の山根成之さんはすごく律儀な方で、映画で見せるアクションも山根監督に指導を受けました」
歌に映画にテレビドラマ、CM、ライブステージと八面六臂の大活躍だった70年代の最後を飾るのが、今や日本国民で知らぬ者はない大ヒット曲、「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」。ディスコグループのヴィレッジ・ピープル「YMCA」のカバーだが、この曲は秀樹自身が探し出してきたものだったそう。
「ロスに行った時、車の中から流れてくる『YMCA』を聴いて、これはいい曲だぞと思ったんです。すごくノリがいし、ステージでやってみたいと思い、日本に帰ってからスタッフのみんなに歌って聴かせて『どう? いいだろう』って。あの人文字の振り付けは僕が考案したんです。それをヴィレッジ・ピープルが来日した時に対談した際に振り付けを教えたら、これはおもしろいから俺たちもやっていいか?って言われました」
もともと原曲はゲイカルチャーのイメージが強く、カバーには反対する者も多かったそうだが、大ヒットしたことですべて吹き飛んでしまった。それまで日本ではレコード会社が歌手の意見を認めてくれることは少なかったが、この曲以降、いろいろな提案が通るようになり、秀樹自身も好きなことをやっていきたいと思うようになった契機でもあった。何より初期から西城秀樹とそのスタッフが目指していた “舞台と客席を一体化させる” 参加型のライブが、究極の形を見せたのが「YOUNG MAN」の大ヒットだったのだ。
―西城秀樹さんは、このインタビューを行った1年半後の2018年5月16日に急性心不全のため63歳で亡くなられた。二度の脳梗塞による闘病生活と、リハビリを続けながらステージに立つまでに回復していた秀樹さん。「今の自分の、ありのままの姿を見てもらいたい」と語っていたその壮絶な人生と、パイオニアとしての偉大なる歩みは、今も多くの人の記憶に焼きついている。
■馬飼野元宏
昭和40年、東京生まれ。本誌の「俺たちの歌謡曲」特集にもご登場いただいた船山基紀さんの自伝『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック) を構成
※この記事は、
『昭和40年男』2016年12月号/vol.40 初出の
2019年7月号増刊 総集編『俺たちの胸に刺さった 昭和ソング』記事
「昭和スターインタビュー/西城秀樹」を増補改訂しました。
―そして今、西城秀樹デビュー50周年を迎える。
その意志を引き継ぐべく、50枚以上におよぶアルバムの復刻が決定した!
「アルバムならではの、曲の構成・展開が楽しみ」「アルバムごとの曲調の変化、歌唱の変化を感じ取れそう」、さらには「紙ジャケ仕様というのがたまらない」…などなど、ファンから感激の声が沸き起こっています。
皆さんは、どんなヒデキを見つけますか? 西城秀樹の魅力を再発見するひと時を思いっきり楽しみましょう!
第1弾のラインナップについては、ソニー・ミュージック公式オンラインショップ「Sony Music Shop」(https://www.sonymusicshop.jp)、西城秀樹オフィシャルショップ「HIDEKI FOREVER.com」(https://hidekiforever.com) にて、予約受付中です。
(Web担当 M)
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2度と現れる事の無い、超スーパースターだと、亡くなってから更に思いました。
2世の方は超える事が出来ない、お父さん、比べられるとプレッシャーになると思いますが、これも一つの宿命だと思います。
誇りを持って秀樹の子供として生きて行ってほしいです。
初めまして!!若い頃はカッコ良い
ハスキーな声だけが大好きで♡ヤングマン頃からジャズや洋楽などを聴くようになり
秀樹とは離れたいました‥でもあの日以来
青春が甦り!!秀樹を聴きまくりYouTube巡りや当時携わってた方々のコメントやエピソード毎日が秀樹の音楽で溢れてます♪♪♪
当時秀樹のバックバンドをしてた方も
呟いていましたが今思えば如何に秀樹が
自分の意思を持ち努力していたか!!
今更だけど十代から洋楽を歌いこなし
当たり前のように思ってたけど本当は凄い事だったのかと‥‥私も秀樹を聴きまくり同じ気持ちになってます!!秀樹〜沢山の素敵な
曲を残してくれてありがとう!!これからも
毎日が秀樹で溢れると思います。
最近はカセットも時々聴いてますけど(笑)アルバム楽しみで〜〜す。
俺たち秀樹のファンは秀樹って凄いねんでと熱く語っても当の本人は
そんなことないけどねと照れる
デカイ秀樹、
だからファンで
いさせて下さい
何年経ってもカッコいい人はカッコいい
秀樹さんは洗練されたジェントルマン
揺るぎのない自信に満ちて✨
私、昭和40年生まれのWEB担当Mも少年時代に秀樹さんに憧れておりました!
まさに、カッコいい人はカッコいい。
揺るぎない自信を持ち続け、改革を進めるには、数多くの努力の物語があったのでしょう。
尊敬の念ですよね。
西城秀樹の名前は知っていても、又はヤングマン(YMCA)はもちろん知っていたとしても、西城秀樹さんの天才的な歌唱力や芸術性まで知っている人は少ないのではないかと思います。復刻版のアルバムで見直されると良いなと願っています。
秀樹さんの倍音の声の魅力。
アルバムで堪能したいですよね!!
コメントありがとうございます。
WEB担当M
インタビュー記事の掲載ありがとうございました。ヒデキさんが今はもういないことが残念でなりません。病気などしなかったら、と思ってしまいます。
けれど、記事を読んで、ヒデキさんの人生は短かったけれど、誰よりも熱く燃えたのだと感じることが出来ました。
アルバム一枚ずつ楽しみます。
ファンのみなさまへ、西城秀樹さんの真意と功績を伝えたく、インタビューを公開させていただきました。
アルバムで聴くと、秀樹さんの新たな魅力を発見できるので、楽しみですね!!
コメントいただき、本当にありがとうございます。
from WEB担当M