歌手と観客の一体感を作り上げたヒデキコール
デビューは72年の3月25日。筒美京平の作曲による「恋する季節」だった。「でも、『恋する季節』は、別の人のために書かれた曲だったんです。元カーナビーツのアイ高野さんが歌うはずだった曲で、それが僕に回ってきたんです」
2曲目の「恋の約束」からは、鈴木邦彦が起用される。5曲目の「情熱の嵐」まで4作続けて作曲した鈴木邦彦こそ、初期のイメージを決定づけたと言っても過言ではないだろう。
「鈴木邦彦先生は僕にとってとても大きな存在でした。先生はレコーディングでいつもほめて下さって、厳しく叱られるようなことはありませんでした。ほめれば伸びるタイプだと思われたのかもしれませんが (笑)」
西城秀樹の最初の大ヒット「情熱の嵐「も、鈴木邦彦の作曲。この曲をステージで歌っている時のファンのコールが話題となった。「君が望むなら」「ヒデキ!」というコール&レスポンスの形である。これにはある曲がヒントになっていたという。
「にしきのあきらさん『空に太陽がある限り』の、『愛してるー』で掛け合う、あのスタイルを意識して曲を作ったんです」
鈴木邦彦も作曲の時点で、わざとすき間を作って「ヒデキ!」コールを想定していたそうで、実際にステージで歌った時、舞台と客席が一体化する感触を彼自身も感じ取ったという。こういった歌手とファンによるコール&レスポンスのスタイルを本格的に歌謡曲に持ち込んだのも、秀樹が最初。男性アイドル歌手への女性ファンの熱狂に、ひとつのスタイルを作り上げたと言えるだろう。
秀樹のトレードマークともいえる、絶唱型の楽曲は、初期のイメージを強力に印象づけた。その端緒となった「ちぎれた愛」を作詞したのは安井かずみ。「激しい恋」「この愛のときめき」「恋の暴走」など、ロックンロールからラブバラードまで安井かずみが手がけた西城秀樹の世界は色っぽく、ひと足早く大人の世界に足を踏み入れている印象があった。
「僕は安井かずみさんが大好きだったんです。ご本人もすごくかわいらしい方でしたし、大人の女性が書く詞という印象があって、安井さんの書かれた詞はどれもいいなぁ、と思います。安井さんを僕の歌に起用したのは、ロビー和田さんのセンスでした」
もうひとり、70年代の西城秀樹を形作った作詞家がいる。76年2月25日発売の「君よ抱かれて熱くなれ」に始まる、阿久 悠であった。
「阿久先生は、僕を成長させてくれた方です。20歳を迎えて少年から青年へと脱皮していく時に、僕を大人の歌手に育てていこうという気持ちをすごく感じました。歌っている内容もとても大人っぽいものでしたし、作曲の三木たかし先生の曲調もすごく凝っているなあと思っていました」
(次ページへ続く → 70年代、ヒデキは俺たちのヒーローだった)
2度と現れる事の無い、超スーパースターだと、亡くなってから更に思いました。
2世の方は超える事が出来ない、お父さん、比べられるとプレッシャーになると思いますが、これも一つの宿命だと思います。
誇りを持って秀樹の子供として生きて行ってほしいです。
初めまして!!若い頃はカッコ良い
ハスキーな声だけが大好きで♡ヤングマン頃からジャズや洋楽などを聴くようになり
秀樹とは離れたいました‥でもあの日以来
青春が甦り!!秀樹を聴きまくりYouTube巡りや当時携わってた方々のコメントやエピソード毎日が秀樹の音楽で溢れてます♪♪♪
当時秀樹のバックバンドをしてた方も
呟いていましたが今思えば如何に秀樹が
自分の意思を持ち努力していたか!!
今更だけど十代から洋楽を歌いこなし
当たり前のように思ってたけど本当は凄い事だったのかと‥‥私も秀樹を聴きまくり同じ気持ちになってます!!秀樹〜沢山の素敵な
曲を残してくれてありがとう!!これからも
毎日が秀樹で溢れると思います。
最近はカセットも時々聴いてますけど(笑)アルバム楽しみで〜〜す。
俺たち秀樹のファンは秀樹って凄いねんでと熱く語っても当の本人は
そんなことないけどねと照れる
デカイ秀樹、
だからファンで
いさせて下さい
何年経ってもカッコいい人はカッコいい
秀樹さんは洗練されたジェントルマン
揺るぎのない自信に満ちて✨
私、昭和40年生まれのWEB担当Mも少年時代に秀樹さんに憧れておりました!
まさに、カッコいい人はカッコいい。
揺るぎない自信を持ち続け、改革を進めるには、数多くの努力の物語があったのでしょう。
尊敬の念ですよね。
西城秀樹の名前は知っていても、又はヤングマン(YMCA)はもちろん知っていたとしても、西城秀樹さんの天才的な歌唱力や芸術性まで知っている人は少ないのではないかと思います。復刻版のアルバムで見直されると良いなと願っています。
秀樹さんの倍音の声の魅力。
アルバムで堪能したいですよね!!
コメントありがとうございます。
WEB担当M
インタビュー記事の掲載ありがとうございました。ヒデキさんが今はもういないことが残念でなりません。病気などしなかったら、と思ってしまいます。
けれど、記事を読んで、ヒデキさんの人生は短かったけれど、誰よりも熱く燃えたのだと感じることが出来ました。
アルバム一枚ずつ楽しみます。
ファンのみなさまへ、西城秀樹さんの真意と功績を伝えたく、インタビューを公開させていただきました。
アルバムで聴くと、秀樹さんの新たな魅力を発見できるので、楽しみですね!!
コメントいただき、本当にありがとうございます。
from WEB担当M