大阪で犯してしまった罪。

西方面への出張があり、久しぶりにきちんとしたうどん出汁で大阪の味を堪能したいなと、以前から入店を躊躇していた「にし家」さんに入った。この面構えではうどんとはいえビビる江戸っ子であるが、よくよく思い起こせば、大阪では不当な価格ってのは出くわす方が難しい。好立地で店構えは立派でも、それが皿の価格に乗るようなことはない。「ご満足いただける価格でご提供しています」という姿勢が街全体にあると言ったら褒めすぎだろうか。

 

彼の地に移り住んですぐできた友人から、東京もんはまずい飯をまずいと店に言わないがこっちははっきりと口にするとレクチャーしてもらった。だからどこもうまいんだとも。もうなんだかんだで30年以上昔の話だから現在がどうだかはわからんが、ともかく当時はそう教わった。そして前述したとおり、失敗の記憶はほとんどない。

 

店に入ると、感動的な接客で迎えてくれる。オーダー伝えて待つことしばし、うまくいった仕事のご褒美に鴨南蛮をおごった。透き通った出汁が美しく喉がなるなるなる法隆寺である。まずはこの黄金の出汁をいただく。心までほっこりするような優しくも旨味の詰まった出汁は、妙な話だがコロナで傷ついた気持ちを癒してくれるかのようである。つくねと鴨肉にはネギを背負わせていただく。「うーん、酒もってこい」な幸福が噛みしめるたびにやはり心の中で踊る。たまらん、にし家さんになぜ今まで世話になって来なかったのかと後悔するほど、僕好みだった。

 

だが僕は大失敗を犯した。本当に無念だと思えるほどのこれは罪だと言ってもいいだろう。うまさの感動に気が緩んでいたのかもしれない。半分ほど食い進めていったところで、鴨南蛮に合うと勧められた山椒を手に取った。今風 (!?) に言えば味変ということだ。うなぎでしか世話にならない魔法の粉をパッパッと振った。どんな感動が広がるだろうと出汁を口に運ぶと「?」である。そしてもう1回同じように口に運んだ時、僕は自分がやらかしてしまったことを神に詫びた。そして、気持ちのいい接客や厨房で活躍する板さんたちに心で謝罪した。

 

山椒を振りすぎたのだ。うなぎ以外ではあまり使ったことがなく、あの濃い味に使う感覚でパッパッとやってしまったのが、つまり量が多すぎた。あとで考えれば、繊細な出汁とうなぎの濃厚な味とでは雲泥の差があるのに、使い慣れていないゆえの大失敗だ。口が痺れていくのを後悔しながら、それでも僕は戦った。吹き出てくる汗と後悔、そして従業員さんへの申し訳なさをすべて飲み込み、僕は出汁まですべてを完食した。口の中が痺れながらだ。だがこうして完食することだけしか、僕の罪が許されることはないと必死に戦った。いや、罪は許されることはないのだがそうするしかないということだ。やはりすばらしい対応の会計を済ませた僕の心に、次回の大阪で必ず挽回することを誓ったのさ、ちゃんちゃん。

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