実家からチャリンコで15分ほどの上野は、僕にとって切っても切れない街だ。ガキの頃はなんと言っても上野動物園で、猿山とペンギン舎が大好きだった。ガキは入場無料だったから、小学生の高学年になるとグループ交際で出かけたりした。中学に入ると不忍池でボートに乗ってエビ釣りを楽しみ、高校生になるとファッションタウンとして出かけた。渋谷や原宿は東京のダウンタウン野郎にはハードルが高く、上野のアメ横界隈でジーンズを買い、格安アパレル店のユニーク(ユニクロと関係あるのかな?)も頻繁に利用していた。初めて入った居酒屋も上野のガード下の居酒屋だったし、長年バイトしたのもABABの向かいから入る呑み屋街の仲町通り商店街だった。少年期からこの街によって成長させてもらったのだ。
20歳の時だ。そのダウンタウン繁華街にマルイがオープンするという仰天ニュースが飛び込んだ。マルイといえば当時はオッサレーの先陣を切っていた。それまで月賦と呼ばれていた分割払いはローンになり、借金はキャッシングとなって身近になり、俺たちはそのブームにも乗って今考えるととんでもなく高いDCブランドスーツを手に入れたのだ。サーフィンイベントなんかの冠にもなっていて、マルイは若者にとってビッグブランドだった。ちなみに余談ながら、僕が居酒屋の兄ちゃんから脱出して広告マンの称号を与えてくれた会社は、丸井をクライアントにしていて憧れのブランドの仕事ができることを誇りに思っていた。と、そんなマルイが確か初となる(と記憶している)生鮮売り場を引っさげて上野にオープンしたのは、東京の田舎モノの僕にとってどれほどありがたかったことか。
と、僕にとってものすごく縁のある上野マルイだ。ここでぬぁんと現在、僕が作る雑誌のイベントが開催されているのは奇跡である。人生ってのは実におもしろい。表紙の写真がポスターになって世話になったマルイに飾られていることに、涙ぐみながら眺めていたおっさんはさぞ気持ち悪かったことだろう。こじんまりした規模なので、何かのついでにお越しいただければ幸いである。でね、来てもらえたら写真や情報を拡散してくれるとうれしいっす。来場者を増やして、世話になったマルイに恩返しがしたいのさ!!