2005年は何していたのだろう?

東京のオッサレータウン麻布十番にあるレストラン『セレニータ』が、去る2月5日に16歳の誕生日を迎えた。この店と『昭和40年男』は提携関係を結んでいて、今後いろいろと悪巧みを実践していく予定だ。1つ兄貴のオーナーシェフとは常にガハハを繰り返しながらアレコレ話しているところで、アフターコロナになったら発進したい。

 

それにしても、厳しい飲食の世界で16年もの年月営業してきたとはあっぱれである。皆さんの周辺でもご理解いただけるだろう、飲食店が長続きする確立がどんだけ低いか。さらにチェーン展開してそのスケールメリットにより、激安でそこそこうまいという店が乱立状態だ。そんな中で長く続けるにはどれだけのご苦労と努力、そして汗を流しているのかと思うと頭が下がる。ガハハを繰り返しながらも、店を継続していくうえで♪顔で笑って腹で泣く♪を繰り返していることだろう。コロナのバカヤローが暗躍する昨今でも、後ろを向かずに奮闘しているカッコいい兄貴だ。

 

で、我ふと想う。兄貴の店がオープンした頃の僕は何していたのだろう。バイク雑誌でイケイケモードにギアをぶっ込んだ頃だ。うちの会社が出版部門に進出して初めてバイク雑誌を打ち込んだのが、2000年の4月で隔月刊誌『タンデムスタイル』だった。今に続く効率のよろしくない隔月が多いのは、この頃よりの悪い癖なのかもしれない。これを04年に月刊化して、翌年にはもう1ブランドの隔月雑誌の月刊化に成功して、さらに女性向けのバイク雑誌を創刊させてスマッシュヒットを飛ばした。2005年とは僕にとってそういう年だったのだ。ちなみにこの翌年にバイク雑誌を3ブランド立ち上げて、さらにバイク以外のジャンルの音楽雑誌にチャレンジした。これ自体は残念ながら失敗に終わったが、『昭和40年男』につながったという意味では大きな意義があったことになる。

 

と、そんな頃だったのかと懐かしく思う。10年にわたって単独だった『昭和40年男』だが、一昨年やっとの一歩を踏み出したのが兄弟誌の『昭和50年男』ということで、バイクの時より随分と立体化は遅れてしまったことになる。ここから巻き返そうと今まさに2005年のごとく女性版にチャレンジしているところだ。うーむ、悪くないな!! って、ちょっと話が脱線しすぎた。これからも末長く『セレニータ』では美味いものを食わせていただくことにするから、兄貴がんばれー!!

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