書店棚の闘いは順調に見える。加えて、『昭和50年男』や 総集編 をしつこく打ち込んでいることのパワーが棚にあふれている。このつぶやきに付き合ってくれている方々には信じられないかもしれないが、まだまだ「こんな本があったんですね」という声はちょくちょく届けられる。それを払拭するために打って出た “書店棚ニコニコ大作戦” がまんまとうまくいったぜと自画自賛だ。きっと知名度アップの令和3年になることだろう。噂(!?) の『昭和45年女』も奔走中だしね。
さてさて、知名度だけじゃないぞ。販売アップだってもちろん僕に課せられた使命だから、そのPRとなる大編集後記は延々と続くのさっ。今日のおもひでの品は、グレコのギターだ。8ページから始まった特集で、ここまでで僕の手が届いたのはトミカのみという惨憺たる成績だが、やっと32ページまでめくって僕の手が届いたのがグレコのギターであーる。
ヤマハのアコースティッギターを、地元荒川区の三井屋楽器店で手に入れて弾きまくっていた。だがリッチー・ブラックモアやブライアン・メイ、ジミ・ヘンドリックスを弾くのにはやはりエレキギターがどうしても必要だ。チャリンコで神田商会に行ってカタログを入手して、何度眺めて何度ため息をついただろう。ガキながら、これを買ってくれというのはあまりにも高額だと躊躇したものの、やはり嘆願を繰り返していたのだろう。この辺の駆け引きがあまり強く記憶に残っていないのは、おそらく策を講じることなく波状攻撃型で攻めていたからだろう。ただ覚えているのは、あまりにも熱心に毎日ギターを弾く僕に親父が折れてくれたことだ。情熱とは、両親という高くそびえるダムをも決壊させることを初めて知った。てな訳で、大金を握りしめて楽器街の御茶ノ水に今もあるイシバシ楽器に中坊は乗り込んだ。
グレコのストラトタイプの一番安いので親を説得した。が、いざ買うとなって現物を眺めるとレスポールタイプのチェリーサンバーストに魔術のように吸い寄せられた。その日まで何度も現物を見ていたし、ストラトだけを夢見ていたのになんでだろうと不思議がりながらも、結局グレコの一番安いレスポールを手に入れたのだった。こうしてスタートした僕のエレキ人生であり、グレコは青春そのものだ。あの日から40年を経て、こうしてその青春の礎となるメーカーのページを作っているのだから、うーむ人生ララだな。
私も昭和40年男です。
もともとアコギがメインでしたが、気まぐれでエレキでも弾いてみたいと買ったのが GrecoSE600 の中古。
アコギの合間にちょこっと弾く程度で売ってしまいました。
数十年後、再びエレキ熱が再発。
色々吟味した結果、Grecoだろ!と探して発見した BrawlerBW600
イリヤさんも弾いていたヤツだなと購入。
あの頃少年だったおっさんには、やはりGrecoはささります。
もう手放しませんよ。