令和2年発行の6冊について、悲喜こもごもをお届けしている。今日は5月11日にリリースしたvol.61についてつぶやかせていたただこう。『昭和40年男』としては大人しい表紙だが、それでもこだわったのは昭和40年に撮影された東京タワーという点だ。今と形が少し違うのと背景の富士山にも、グッとくるではないか。
今年の夏は東京オリンピックで盛り上がる。その直前にしかできない企画だと、満を持して打ち込むはずだった。タイトルは「さらば、俺たちの東京」だ。盛り上がっているからこそ打ち込めるタイトルだった。が、すでに編集作業に入っていた3月24日のことだ、この夏に開催されることがなくなったことが決まった。そしてやがて緊急事態宣言へとフェーズが上がり、書店が次々と休業するそんな最中の発売となった。タイトルはご覧の通りずいぶんとソフティケイトされた。そりゃあそうだ、予定どおりのタイトルで発行したらなんだかシャレにならない空気が漂っていたもの。だが内容は当初思い描いていた、かつて愛した東京とこれから消えていく東京で作り込んだのだった。
僕が生まれる1年前に東京オリンピックが開催されてそこへと向かって多くのインフラが整えられ、それらが限界を迎えていたり、すでになくなっているものを中心に構成したのだ。『昭和40年男』が都市を取り上げるというのは珍しい上、内容としてもこれまでにないものが作れた。だが東京の書店は多くが閉まり売り上げが心配されたが、おかげさまでセールスは伸びた。いろんな思いがフラッシュバックする一冊である。
そしてなんといっても、巻頭に追悼文を作ったことにより忘れがたい一冊になった。緊急事態宣言が出された直後の3月29日のことだった。まさかまさかだった。残念無念だった。いつかインタビュー記事を掲載することを夢描いていたのに、志村けんさんがコロナのバカヤローに持っていかれたのだ。念願の取材が叶った日には、僕の人生を切り開いてくれた恩人の一人なんだとお礼を述べると決めていた。取材もお礼も、そして僕の夢とそれらすべてが無残にも奪い去られてしまったのだ。巻頭に2ページもらい、極めて個人的な文章を掲載させていただいた。今も悲しみは悲しみのままで、このページを読むのがツライ。と、そんな一冊である。