ウォークマンで眠れない夜。

不安な夜をいくつも数えた。なんて、ラブソングの出だしのようだが、事実である。ウォークマンを表紙にすると決めるまでの葛藤やプロセスは、コココッチ、あららココにも書いている。   

ウォークマンをメインに勝負したいと思いついたのは〆切間際の10月26日で、とんでもないタイミングだった。しかも翌日には最終の取材を突っ込んでしまっていた僕は、副編小笠原に「表紙をウォークマンメインにしたいからなんとかしてくれ」とだけ言い残し、編集部を空けてしまったのだ。我ながらこのタイミングはひどい。ヤツも原稿を大量に抱えている上、仕上げに向けての細々した作業が次々と舞い込むタイミングである。さぞ胸の内は煮えくり返ったことだろうと思いつつも、この時点でのヒラメキは止められない。

小笠原から取材先に連絡が入ったのは翌々日で、コレクターの方から新品を借りられるとのうれしい報告だった。29日の夜に編集部に届いた箱入り娘は、この通りのすばらしい状態だった。編集部の一角をスタジオとして占拠した小笠原は、四苦八苦しながらライティングを施し、深夜にまで及ぶ長時間の撮影を敢行してくれ、何パターンものおいしそうな(!?)ウォークマンのカットを仕上げてくれた。結果として、僕のギリギリの思いつきが多くの人間の協力をあおぐことになってしまったのだ。

表紙が完成したのは31日で入稿のタイミングギリギリだった。写真の仕上がりも表紙への落とし込みも満足できた。だが、印刷所に手渡したとき、それまで勢いで突っ走ってきて気が付かなかった(遅過ぎっ!! 笑)ある不安が芽生えた。30年以上前の製品を表紙にして、雑誌として勝負になるだろうかと。21世紀に突入してすでに10年以上が経っているのである。社会のスピード著しい現代に、この表紙はとてつもなく外しているのではと苦しみ始めた大バカモノだ。

そんな不安を抱えたまま振り切れなかった昨日、受注担当者から追加注文が多いことを聞かされた。ネット販売もどうやら好調のようである。さらに恒例の『浅草秘密基地』で絶賛コールを受けたのだ。『昭和40年男』好きな者たちの集いであるから、面と向かってダメな表紙とは言わないだろうが、不安が大きかったことを伝えると、このバカさ加減は痛快だと言ってくれたのだ。さらにトドメは「書店をのぞいたら隣にスティーブ・ジョブズがいたよ。これでいいんだ」との言葉は、ここ数日の不安を全部すっ飛ばしてくれる褒め言葉だった。だってね、最新号を持って逃げる僕を、ウォークマンロボットが追いかけてくる夢を見たほどだよ。きっとアシモの発表会での感激が混ざって、こんな夢になったのだろう。ともかく、最悪の事態ということはないことだけは確信できたのが昨日だった。ではこの場を借りて申し上げたい。大切な宝物を貸してくださった島田さん、この度はありがとうございました。

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2件のコメント

  1. 帰りの電車の中で、この「編集長のつぶやき」を何度も何度も読み返してしまいました。
    そして、思いました。自分の「ウォークマンⅡ」を使って頂いてよかったと・・・。

    最初、副編集長からメールを頂いた時は正直戸惑いましたが、
    何度かやり取りをしている間に表紙にお使いになりたいことがわかり、
    「ならばこれしかない!」と数あるウォークマンⅡの中からデットストックを選んでみました。
    結果、編集長を始め、昭和40年男の皆さんにも喜んで頂けたようでうれしく思います。

    そして、こちらこそお礼を申し上げたいと思います。
    この上ない、素敵な写真をありがとうございます・・・・と。

    副編集長、我が家にお越しいただいたSさんにもよろしくお伝えください。

    • そんなそんな、もう恐縮しきりです。取りにうかがった編集の忍は、宝物を抱えてもひどく緊張しながら編集部に帰ってきましたよ。おもしろい話をたくさん聞かせてもらったとも言ってしました。重ね重ね、ありがとうございました。

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