まだまだしばらく、ただひたすらに僕は最新号のPRをつぶやくのだ。ふっふっふ、巳年はしつこいのだよ。
今回の特集は、サエキけんぞうさんの総括に始まり4つの章と真ん中に閑話休題を配置して構成した。その第1章には、5人の候補をあげてすべてインタビューで綴ることに成功した。有名出版社でもなければ、予算が有り余っているわけでもない我々だから、こうして思い通りの構成ができることってのは苦労と努力を伴うのだ。だからこうして達成できたときは、美酒に酔うのである。
で、今日の本題、影山ヒロノブさんだ。氏に関しても昨日つぶやいたリューベンさん同様に、ラインナップするよう編集部に命じた。我々は “テレビから聴こえてきたロック” をテーマにして、昭和53年こそその起点であると定義した。すると当然、レイジーの存在は絶対に避けて通れない。「赤頭巾ちゃん御用心」を歌謡ロックだと過小評価するなかれとの思いが僕には強くある。約2年後にリリースした『宇宙船地球号』だったり、後の各メンバーの活躍を見ればどんだけ芸能的に仕上げられていたのかが手に取るようにわかる。だからこそ、影山さんを特集に入れることで、テレビと引っ掛けてロック元年とした特集が深みを増すのだと主張したい。
樋口さん以外のメンバーは昭和36年生まれの兄貴たちで、僕が中1の時に高2であれだけの演奏をしていたのだ。凄すぎるじゃないか。ロックじゃないか。そして個人的な話を少しさせてもらうと、影山さんの名前をレイジー以降改めて知った時は彼が憎かった!? 僕が高2になった時、テレビで見たレイジーと比べたらお恥ずかしいレベルながら、ちょっとしたバンドを組んでいた。荒川、足立、台東区あたりの高2では、ここまでやっているのはそこそこ目立つ存在だった。だがある日、足立区のすげーバンドのヴォーカリトと知り合えた。彼、高橋洋樹さんが後にデビューして歌ったのがドラゴンボールの主題歌「摩訶不思議アドベンチャー」だ。後にはバンドスタイルのCOME ON BABYで『夜のヒットスタジオ』にも出演したりとがんばっていた。つまり憎んだのは、久しぶりに影山さんの名前を聞いたのがドラゴンボールZの主題歌の歌唱で、「ドラゴンボールの仕事を洋樹から取っちゃったじゃん」という感情だ(笑)。そしてこの時鮮やかに思い出したのは「宇宙船地球号」をテレビで見たときの衝撃で、あの影山さんがアニソンなのかと意外な感覚と同時に納得感も強くあった。
レイジーは再結成されて、ボチボチ活動しているのをご存知だろうか。節目節目でライブだったり、リリースだったりを繰り返している。影山さんご本人もインタビューで語っていることだが、かつてのレイジー時代より喉がすげーことになっていて、高崎 晃さんのギターとがっぷり4つで歌っていて心地よい。『宇宙船地球号』の曲なんかもガンガン演っていて、かつてのファンたちは音源を手に入れるべきだ。が、残念ながら「赤頭巾ちゃん御用心」はまだ封印されたままのようだ。きっと、高崎さんが「あれだけは…」とおっしゃっているのではないか。でもね、この特集に免じてそろそろ封印を解いてライブに打って出てくださいな。お願いですっ!! そしていつか2人で、連載企画の「ガツンと一言。兄貴の説教」に登場していただきたい。
さてこれよりはさらなるPRだ。『昭和40年男』はコーラスグループの「フォレスタ」をプロデュースしていく。その第1弾動画がこれなんで、ぜひお付き合いいただきたい。曲は「宇宙戦艦ヤマト」だ。