編集部の手を離れたのが、夕べおよそ7時頃だった。ここで、さあ呑むぞーというわけにはいかないのがちょっとツライ。制作部門が印刷所向けの最終データを完成させる作業があるのだ。
これは企業秘密だが、うちの制作部門は編集作業のアンカーまでも業務内に入れている。てめえのところの話だから、まさに手前味噌でありながら書くが(って、企業秘密じゃねーのか!!)、データを完成させるために文字組だったり写真の確認作業だったり、編集が手放した原稿をモニターいっぱいに広げながら作業を進める。何日も痒い頭を掻きながら頑張ったものの、やっぱり誤字脱字はあるもので、彼らは彼らの業務をしながらにして、編集テリトリーである誤字脱字を発見してくれるのだ。おーっ、パチパチ。もっともテリトリーなんて言っていられるような仕事環境ではないのは、昨今の社会情勢では当たり前であるが、出版社においてDTPと呼ばれる、デジタルデータ制作プロセスは、アウトソーシングしがちなのである。うちは新参者の会社の強みで、かなり早くから社内制作を取り入れたので、今も部署としてキッチリと成立している。
自社製品を作っているわけだから愛が違う。それだけはなく距離の近さも強みである。アウトソーシングの場合は、互いに担当者同士の意思で決められて進んでいくが、社内であれば全員が担当者同士となるから、ちょこっとした質問がしやすい環境なのだ。間違いに気が付くと編集に確認に来る。もっとすごいのは「ここは○○にしたほうがいいのではないですか」と、間違いではなく提案や「てにをは」の指摘だったりも突っ込んでくれる。これは頼もしい。この頼もしさを最大活用するには、同じ部屋に編集の人間が残っている方がいい。だってね、電話で問い合わせるのとでは雲泥の差が出るもの。「間違いじゃないからな、わざわざ電話してまで」という、本来働いてはならぬがそれは人間というものは微妙なメンタルを持つ生き物である。ついつい電話までしてと流してしまうと、せっかくのうちの強みを活かしきれないことになる。つうわけで、編集の誰かはこの作業についた方がよく、編集長がもっともてっとり早いということになる。長い解説になってしまったが、制作の作業中は席を立てないということになるのだ。結果、夕べオフィスを出たのは日付が変わろうかという時間であった。
さて、家に帰るか遊びにいくか。タイトルを見てもらえばわかる通り、赤坂に繰り出した。とはいえ誤解なきように。赤坂でというとネーチャンを隣につけての絢爛豪華な店を想像なさるでしょうが、そんな金は持ち合わしちゃいない。なぜわざわざ赤坂? はい、うちの会社は15年近く元赤坂にオフィスを構えていたから、なんとなく実家みたいな気分でよいのだ。家に帰る浜松町に向かう路から、都営浅草線の大門へと進路を変え、赤坂見附で降りると、馴染みの料理屋をのぞきにいった。
五番館という20年以上赤坂で商売をなさっていて、『昭和40年男』の特集『呑んべえ、万歳』のときに林田健司さんと本気呑み…、じゃなく取材でも使わせてもらった店だ。公式には0時閉店なのだが、ここの親父さん呑んべえ万歳な方で、たまに客と残って呑んでいることがある。のぞくと案の定、2名の客と奥さんの4人で呑っていた。「いいっすか」「らいじょびでしゅよ」と、ろれつが回っていないが、まあ長っ尻にならないうちに出ようとカウンターに座った。「できるものでいいですよ」と告げると、舌は回らなくても包丁は動くのはさすがに職人である。ここでいい気分で呑んでいると親父さんから声がかかった。「おいでよ」「はい」。遠慮なんかしない。そして客の1人が昭和40年生まれで、「こんないい雑誌があったんですか」と、そりゃー盛り上がってしまったよ。やがて2人は、TPPとマスコミをテーマにずいぶんと激論になり、お開きとなったときにはもう始発が動いている時間だった。始発に乗りゆらゆら揺られているうちに、寝不足の編集長はすっかり深い眠りについてしまった。浦和美園と日吉間を多分2往復したのだろう、9時過ぎに日吉で車庫に入ると起こされた。「あーっ、よく寝た」と、いったん家に帰りしばらくぶりのシャワーを浴び、キリっと出社だよ。
しばらく呑めなかった舌に流し込むビールってホント高校時代の味なんですよ。満喫して、激論して、そして、〆切を乗り切った幸福感を目一杯味わった赤坂の夜だった。