発売から2週間が過ぎた。言わずもがな発売後3度目の週末を迎えることになるのだから、いくらしつこい巳年でも最新号の紹介つぶやきの大編集後記は今日で千秋楽にいたそう。そして最後は、極々私的企画で恐縮だが、僕自身のご先祖さまを巡る旅についてつぶやかせていただく。
この連載でもふれているし、編集長のつぶやきでも幾度となく書いてきた。僕はこれまでの人生を北村家三代目当主として生きてきたが、この歳になって驚愕の事実が判明したのは、実は六代目だったということと、その間に養子縁組が2度あったということだ。戸籍から追いかけてくださってわかり、さらに名字を手かがりに郷土資料をひっくり返していただき、そこそこの名家であったかもしれないということまでわかった。これにて今回のコラボを引き受けてくださった、家系図作りを生業としてしている会社の家樹さんの仕事は終了だ。あとは僕のご先祖さまの墓参りに行き、この目でご先祖さまが過ごした街を感じることで、この連載は終了予定だ。ここに大きな楽しみが加わったのが、今回の調査で繋がった “はとこ” との会見である。
僕の六代前のご先祖さまが住んでいた新潟県魚沼市(現在)に彼がいる。僕の爺さんは前述した2度の養子縁組のうちの1人であり、その生家は船木性を名乗っていて、家樹さんの調査のおかげで、船木家の現当主で血の繋がりがあるはとこと連絡が取れたのだ。僕はこの連載の記事と、お会いしたいとしたためた手紙を送った。すると丁寧な返事が届き、快諾していただけたのだ。つまり、彼との情報交換がご先祖を巡った調査の最終段階になるということだ。楽しみであるが、コロナ次第ということになっているのが悔しい。
この企画には恐ろしい目的が内包されている(笑)。家樹さんから『昭和40年男』特典をつけた同サービスのリリースと、我が社からの販売だ。商魂たくましいなと嫌わないでくだされ。本誌を見ていただければおわかりのとおり、他の雑誌と比べてウチは広告が極端に少ない。なんでだか大手広告代理店さまからま〜ったくお声がかからないのだ。そもそも一般誌なんてやったことがない会社が手を出したのが『昭和40年男』であり、広告営業も地道に社員や僕自身が奮闘しているのが実情である。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスの心境で広告代理店さまのオファーを待ちつつ、クライアントに直で営業しては「代理店は〇〇なんでそっちに行ってくれ」と、ほぼ断りの決め台詞でジ・エンドとなる。お・し・ま・いDEATHなのだ。なんだか愚痴っぽくなったが、だったらとこうして企業さんとコラボして少しでもビジネスを大きくしたいともがいているのさ。そうそう、おかげさまでスペースインベーダーは販売好調だ。
てなわけで、近日中に『昭和40年男』版家系図作りサービスの発売となる。現在調整中だが、僕が受けたフルサービスはかなりお高いので、お手軽版も発表させていただく。ご興味のある方々はもうしばしお待ちくだされ。