僕はもともと旅好きであることに加え、ここ15年ほどは仕事で出張のチャンスが多いことから47都道府県のうち46まで、呑んで食って眠っての滞在を達成していた。だが長い期間、ひとつの県だけが残されたままだった。そして先週末、ついに達成するチャンスを得たのである。短い滞在時間だったが、せっかく出かけてきたのだからと、レポートをお送りしている。大げさにいうと、昭和40年男たちに旅のカタチの提案である。
最高の湯をいただいた後は「酒じゃ〜、酒を持ていっ」となった。が、この街で酒を運んでくれるようなところは見当たらない。チェーン店どころかコンビニも食堂すら見当たらないのである。ついさっき地方の街の無個性を憂いていたが、この温泉街は街としての機能があるように思えず「温泉街とはそもそもこれでいいのだ」と虚勢を張るものの、酒をしっかりと楽しみたい呑んべえの僕は、それほどでもない2人に作戦を伝えた。「ちょっと遠いが、さっき見かけたコンビニで酒とつまみを仕入れてから街に繰り出そう」とした。最低限の準備をしておきたかったのだ。焼酎と魚肉ソーセージがあれば幸せになれる安上がりの僕だから。
片道20分程度のコンビニで買い出しを済ませると、いよいよ街へと繰り出した。街? “なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない”と『はじめ人間ギャートルズ』のテーマソングなんぞ口ずさみながら歩いていくが、本当になにも無い。まずはとにかく乾杯しようと酒屋に入ってビールのロング缶を手に入れた。店員さんに「呑み屋さんはありますかね?」とたずねると「ありますよ。このすぐ舌に瓦そばの店と、地元料理を食べさせる店が。でもあっちは今日お祭りだから開けないかもしれない」と、とりあえず瓦そばなる聞き慣れない店があることを知り、胸を撫で下ろした。
川の流れる音を肴に乾杯。ウマイ。運転していない僕がこれほどうまいのだから激走を続けてきた2人はもっと至福の瞬間だろう。ビールは瞬時に飲み込まれ、先ほど紹介してくれた蕎麦屋に向かった。頭の中には山菜の天ぷらに板ワサ、焼き海苔に出し巻き卵なんてメニューが次々浮かんでいた。早い時間に蕎麦屋で呑むのは、もうそれ自体が至福であり、昭和40年男にとっては最高のシチェエーションのひとつでないだろうか? そんな想いが先走っていたのである。入店すると気の良さそうな女性が迎え入れてくれ、「呑みながらつまみたい」と伝えると大丈夫だと席へと案内してくれた。
ビールを頼みゴクリ。女性にメニューはと聞くと壁を指差すじゃありませんか。その差された先にあったのは…。張り紙が数枚。冷や奴300円、刺身こんにゃく300円、もう1枚には馬刺とだけ書かれていた。それと看板メニューである瓦そばは900円で、大盛り1100円と書いてある。「これだけ?」と出かけた言葉を飲み込んだのはさすが江戸っ子だと自分を褒めてやった。「奴を2つと、刺身こんにゃくを2つください」。同行している2人も粋な男たちで、笑いながらこの事態をむしろ楽しんでいる。心の支えになっているのは、さっきコンビニで仕入れを済ませていることだ。フッフッフ、作戦勝ちだな。
ビールを数杯空けた僕は焼酎を頼んだ。「麦ありますか?」「はい」。一瞬の間があったものの、厨房の方へと引っ込んでいった。が、少々時間がかかっている。ウーム、どうしたものかなとボンヤリ窓の外を見ていると、感じのいい女性店員さんが一升瓶を抱えて店へと戻ってきた。一同爆笑である。さっきの酒屋へと、急ぎ仕入れに出かけたのだ。このあまりにもドリフな光景に昭和40年男の胸は震え、腹が痛かった。大盛りの焼酎がやっと届き、仕入れたばかりの焼酎に舌鼓を打った。その心意気とギャグチックな光景に意気感じた男たちは、ビールから焼酎へと切り変えたのだった。大盛りを次々に空けて気分よく、肴は奴とこんにゃくで十分なことを知った3人であった。だがこうなったら店の心意気に応えなければ、男が廃るってもんで馬刺を2人前追加すると、ますます焼酎が冴え渡ったのだ。
そしてこうなったら、この店のメニューをすべて制覇するという、男だったら一度は見た夢を達成することにした。それが4つしかないラインナップだとしても、達成は達成だ!! 「すみません、瓦そばを大盛りで1人前ください」。みんなで分けて食べようと頼んだら、何も言わずともちゃんとつけ汁を3つ届けてくれた。
この通りなんとも不思議な料理である。瓦は熱くなっていて、そばは軽く炒めてあるような食感で油を感じる。聞くと山口の名物でこの地で勝負しようと開店なさったとのことだ。思わぬところで山口を体験しながら、でもここは佐賀なのであって、こんな展開もまたいい。大満足で店を出る。「おいしかったですよ。ところで良心的なスナックご存じないですか」との問いに、ご主人は意外な行動をとった。もう少し続ける。