哀悼と敬意を込めて、僕のつたないアップルとの関係を綴らせていただこう。
こうした機器にうとい僕が初めてその名を耳にしたのは、SP関連の仕事を多く手がける広告会社に在籍中のことだった。「マッキャンがすごいらしいぞ」と、どこからか聞いてきた社長が興奮気味に語っていた。なぜかマッキントッシュをマッキャンと略していたのがおもしろい。パンフやカタログなどの制作に極めて有効とのことで、これからの広告会社にはなくてはならないとのことだった。その会社に導入される前に、僕は現在の会社を設立してしまい、しばらくは触れることさえ無かった。
やがて知り合いを介して、50人規模の制作会社を見学させてもらったとき、その作業光景に衝撃を受けた。クアドラがずらっと並び、デザイナーやオペレーターがモニターの中でレイアウトしているのだ。今では見慣れた光景であるが、当時ペーバーセメントとカッターとピンセットを駆使して、切った貼ったでレイアウトしていた僕には、神が降臨したかのように思えたのだった。瞬間的に、「マッキャンがすごいらしいぞ」との、かつての社長の言葉を思い出したのだった。マッキャンでなく彼らはマックと呼んでいたが…。そしてさっそく導入しようと業者に相談したとところべらぼうに高い。5年リースで総支払額は300万円を越えるという、目玉の飛出る見積もりだった。Power Mac8100とモニター、プリンター、フォトショップ、イラストレーター、ページメーカーという構成だった。清水の舞台から飛び降りるがごとく、印鑑をついた日は今も忘れない。ところが、それまで慣れ親しんだ作業を変えるのは、一時的にものすごく効率が下がる。稼働しなまま相変わらず切った貼ったでの作業が続くこと約1年が過ぎ、このままでいかんと一念発起して総勢5人で運営していた会社に指示を出した。「今日から切った貼ったは禁止じゃ。すべてマックでおこなうのじゃ」と。世にいう、カッター禁止の令(!?)である。
自宅にもPower Mac6200を長期ローンで自費導入して、とにかく慣れようと頑張った結果、広告物の制作はほぼマックでおこなえるスキルを身につけた。やがて雑誌編集の仕事を請け負ったときに、もう一段飛躍することになる。フルDTPで出版社に納品すれば、その手数料として100万円払うとの条件が出た。これに乗らない手は無いと飛び込んだものの、失敗の連続だった。編集者やカメラマンからは、マックでつくる本はダメだとまでいわれた。多分このころフルDTPでの出版物は全体の5%にも満たない、もしかしたら1%以下だったかもしれないという時代だった。それでも僕たち若い会社には、明日への活路はここだと懸命になってシステム構築していった。自社で出版事業に踏み切るチャンスを得たときに、DTP技術が確立していなかったら、手を出せなかったかもしれない。なぜなら、DTPでなければ1冊あたりの制作原価がはねあがってしまうのである。自社でDTPシステムを構築してあったおかげで、損益分岐点を低く設定でき、出版事業という大冒険にトライでき今に至っているのだ。
僕自身も写真の通り、アップル製品武装している現在である。イマイチというか相変わらずうといが、日々楽しんだり助けられている。『昭和40年男』を生み出すに至ったことにも、マックは大きく関与していることになるのだ。そんな自分史の中に燦然と輝く魔法を生み出した1人である、スティーブ・ジョブズ氏の死はやはりショックだ。そして彼は、仕事の精神までをも注入してくれたのである。「もし今日が人生の最後の日だとしたら、オレは今日やろうとしていることを本当にやりたいと思うだろうか」。強く胸に刻み、生きていこうと思う。ありがとうございました。