くっそー、にっくきコロナめ。オラの大好きな店がまた閉店に追い込まれてしまった。地元のスナックがひっそりと、何の知らせもなく長い歴史に幕を閉じた。赤坂で世話になっていた寿司屋に続き、僕にとっては2軒目の悲劇である。
スナックが大好きで出張先では必ずと言っていいほど利用する。長い年月、地域密着で営業してきたスナックの多くは、街への愛にあふれるママさんと客との憩いの場だ。チェーン店の進出で寂れてしまった飲食街で、どっこい頑張っているような店は元気な爺さん婆さんで活気があるパラダイスだ。僕の歳で若造扱いされるのもたまには悪くない。通いの長老様の説教を聞いたり、数十年前はきっと妖艶だったと想像できるママさんとのおしゃべりは旅の醍醐味である。
そしてもちろん、東京にも馴染みのスナックを数軒持っていて、写真のここは僕の地元にあるから最も気楽に立ち寄れる店だ。座るとちょこっとした小鉢がふたつ出てくる。毎度、ママさんが趣向を凝らした酒肴(うまいっ!)をこしらえて待っていてくれる。年季の入った扉を開けると、ママさん1人でポツンとカウンターに座っていることもあれば、多くの地元客で大宴会になっていることもあり、小さな店ならではのその日ごとの変化も楽しい。
僕はこの街に引っ越してきてまだ10年ちょっとだから、ここの常連さんの爺さん婆さんとのコミュニケーションは街に溶け込んでいっているような気分を味わえる。少しずつ地元人へと押し上げてくれる気がしていて、極めて居心地がよかった。郷土史や近代史を教えてもらったり、自治会に参加している方々との自治談義なんかも、深い地元愛がベースにあるからこそだった。よいスナックとは、街にとって極めて重要なコミュニティなのだ。
それにしても、なくなってみてその存在の大きさが身にしみる。おそらくよくて月一程度の不良常連だったが、ここで過ごしたママさんや常連客との時間はかけがえのないもので、もうそれを味わえないのだと思うと無念で無念で。赤坂で世話になっていた、僕がもっとも愛した寿司屋も同様なのだが、ご高齢でいつまで続けようなんて考えていたところに、コロナによる長期休業がきっかけを作ってしまった。2店とも再営業に踏み切ることなくひっそりと閉めたのだ。悔しい。だいぶ以前に赤坂で閉めた和食店では、最後の営業に付き合い花束をお届けできた。そうしたお別れのピリオドが打てないのも、コロナ憎しが増すばかりである。