吉祥寺で拾った青春の想い出!!

東京生まれの東京育ちなのだが、西東京には縁遠い人生だ。新宿や渋谷より向こう(西)は未知の世界…、とまでは言わないがアンテナの高い若者や文化人がうじゃうじゃしているイメージが強くて、近寄りがたい下町っ子だった。大人になっても縁遠く、行けば楽しい街ながらなかなか訪れる機会が少ない。そんな僕に、先日不意に吉祥寺へ行くチャンスを得た。降りたことあったかなと考えるもおそらく過去に1回きりではなかろうか。その1回というのが高1の1学期、まだ15歳の頃だ。

 

この少し以前の、中学生として最終日となる3月31日に初めてライブというか、中坊の発表会レベルの演奏会を、御茶ノ水の楽器店にある40人ほど収容するホールを借りて開催した。演奏はガッタガタにも関わらず、それはそれは気持ちよかった。そしてこの夜、僕の人生が動き出した。今の仕事や人生に直結している夜だ。この日演奏した6人は、高校への進学が決まったばかりにも関わらず、プロミュージシャンになろうと誓い合った。結果として、それは若気の至りだったとなるが、15歳にして生きる目的を定めたのは大きかった。それまでだって描いた夢はあったが、これはかなり現実的なものだった。数日後に入学した高校の授業にはまったく身が入らず、授業時間とは深夜の練習のために睡眠を稼ぐこととバンドの課題曲の歌詞やコードを覚えること、そして作詞の時間にあてた。成績がいいはずないのは言うまでもない。

 

そんなメチャクチャな学園生活の最中、チャンスが巡ってきた。厳密に言えば、大人のカラクリにのせられた格好なのだが、僕らにはなんてったって夢があった。未来へと続くゴールデンロードでは、前を向いて走るしかなかったからカラクリとか眼中になかったのだ。そのカラクリとはのちに判明するのだが、こうだ。ある事務所がライブハウスを貸切にして、いわゆるイベント開催にしてしまう。ライブハウスってのは、通常営業の出演だとオーディションを受けて、その店のレベルに見合うバンドだけが出演機会を得る。が、このイベント形式であれば借り手(事務所)の自由で、オーディション無しでバンドをかき集める。要するに、僕らのような出たいけど出られないレベルのバンドを引っかき集めて、ノルマを背負わせて利ざやを得るのだ。対バン形式で4バンドが招聘され、すべてのバンドがノルマを支払えばおそらく3万から5万の利益が出たはずだ。ウンウン、ボロい商売だ。が、こちらとしては早く大人の階段を上がりたかったし、憧れのライブハウス出演がこんなにも早く訪れるのならよしで、後にもこの業者のビジネスに数度付き合った。今もある名門の原宿クロコダイルに、高1(これは秋だった)にして出演して、ハードロックのコピー曲を演奏していたのだから笑える。若さとは神をも恐れぬ勇気が武器だなと今なら振り返れる。

 

で、今日の写真が僕の人生で初出演になった、吉祥寺のライブハウス『シルバーエレファント』だ。前述した通り、不意にこの地へと行くことになり調べると現存したので立ち寄ってみたのだ。正直に白状すれば、このエントランスは記憶に残っていなかった。が、長い時を経過してきた重みだけは強く感じさせてくれた。39年前の初夏(確か5月)のこと、僕はここで汗を流したのだ。当時はまだヴォーカリスでなくメインギターリストで、クイーンのカバー『セイブ・ミー』で痛恨のミスをしたことが、鮮やかにフラッシュバックした。一生記憶の扉を開けなかったかもしれない、そんな想い出が甘酸っぱいぜ。…と、ニヒルにこの場所を後にしたのさ!!

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1件のコメント

  1. こんにちは!
    シルバーエレファント、懐かしいです。
    30年以上前、この前でスケボーをしていたら出て来た人とぶつかりそうになり
    鋭い眼光で睨まれました。
    エレカシの宮本さんでした。
    あの目の強さは凄かったww

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