しつこい巳年も、さすがにそろそろ大編集後記の幕を閉じることにするかな。ほぼ2週間に渡った、執念のPRタイムにお付き合いいただきありがとうございました。今日の大編集後記は少々番外編的で、販売の現場についてつぶやかせていただく。
昨日のつぶやき冒頭で述べたとおり、多くの書店さんが工夫を凝らして陳列してくださっている。現在、販売店はどんなジャンルでもほぼ苦境に立たされているだろう。ネット通販に加えて、憎っくきコロナの影響も重くのしかかっている。大きなショッピングモールやデパートなどに入っている大型書店は、緊急事態宣言後は当然ながら休業を強いられた。それを逃れたショップは前年比大幅プラスに転じたなんて情報が入っているが、長いスパンで見れば斜陽である。だからと言って下を向くわけでなく、頑張っている書店さんはゴマンとある。発売後のルーティンワークとなる書店めぐりで感激した陳列をご覧いただこう。まずは大阪で見たビニ本屋さんだ(笑)。
ご覧のとおり、立ち読み用に数冊が前に出され、後ろはきちんと包んでくれている。このコーナーでは、隣のサライさんとウチだけがその対象となっていた。これに愛を感じないはずがない。そして涙を流さないはずはない。さらに東京上野駅のアトレの中にある明正堂さんでは、とんでもないことになっていた。
手書きのPOPで紹介してくれているだけでなく、ビニ本状態でバックナンバーを多く扱ってくださっている。ここの “昭和の思い出コーナー” でのウチの占有率は高く、いつも鼻高々なのだが『昭和40年男』の最新号 と、ひと月前に発行した『昭和50年男』の最新号 が棚に刺さっていない。おかしいなと思って足下を見ると、僕の出版人生では経験のない平積みを見た。ドーン。
ちょっとした座布団(!?)を敷いたところへこれでもかっとコーナー脇に積まれていた。そして棚の逆サイドを見ると。ドーン。
奇跡の光景にしばらく口が開いたまま立ち尽くした、汚いおっさんだった。
人のやる気や気持ちが伝わることがリアルの世界では大きな武器だ。手書きのPOPやこの陳列などなど、デジタル時代とはすべてが逆行している売り場だが、こうしたぬくもりから得られる感動が消失することは、人間社会では絶対にあり得ない。雑誌という商品はコンテンツを紙でパッケージする商品だ。どんなアウトプットでもいいわけでない。編集部員やライターさん、デザイナーたちなど関わったすべてのスタッフの魂を、僕が信じている “届く” 表現でお送りしたいから、『昭和40年男』ブラザーズは現在デジタルでは発行していない。紙の持つぬくもりこそが我々の心を運んでくれると考えている。魂が込められた1冊に、こうして書店さんが努力や工夫というプラスのパワーを加わえてくださり、奇跡のような熱が発せられる。書店巡りをしながらその熱を感じるたびに、僕は間違っちゃいないんだと再確認させてもらえる。古いだの、終わってるだの、化石だの、オワコンだの、おっさんだの…etc、言いたければどうとでも言え。時代を作っていくのは心だ。サポートするのが技術であって、逆はないと信じて進む。あたり前田のクラッカーだね。