先日、赤坂に立ち込めた暗雲とタイトルして、赤坂で長年世話になっている寿司屋がコロナの影響で休業を続けていて、70歳を過ぎているからもしかしたら店を閉めてしまうかもしれないとつぶやいた。結果的にこれは不吉なつぶやきとなってしまったのだ。その翌日の夕方のことだ。まるで申し合わせたかのように親父さんから携帯にコールがきた。「北村ですっ、いよいよ営業再開ですかーっ」と元気に出ると「こんなことを電話で伝えるのは本当に申し訳ない」と切り出され、「閉めることに決めました」と続いた。昨日(7/2)100人を超えて、今日も超えたと発表されたのを聞いて不動産屋に行って来たと言う。えーっ、そんなバカな。勝手に決めないでくれよと心が叫びながら、ただただ親父さんの落胆した声を聞き続けた。せめて最後の営業を、1日でもいいから開けてくれないかと頼んだのだが、おそらくもう気力の方が切れてしまったのだろう。「もう無理ですよ」と返されてしまった。
初めて訪れたのは、クライアントがご馳走してくれた時だった。えらく気に入って、ここは自分の店にしたい。親父さんの記憶が残っているうちにと、その数日後に1人で出かけた。が、大きな不安があった。コストだ。ゴチになったからその時の2人がなんぼ払ったかは闇の中だ。なんてったって赤坂だ。カウンター8席程度とテーブルが1つの小さな店で、一等地の家賃を払うのだから客単価はそれなりでなくてはならないだろう。加えて、ご馳走してくれたクライアントの社会的地位を考えると、かなり怖い。だがその恐怖をぶっ飛ばすほど気に入った僕で、清水の舞台から飛び降りた、ピョーン。ビビりつつもそれを隠し、江戸っ子の粋を演じながらの2時間弱で運命の時がやって来た。女将さんより告げられたそのプライスは、そりゃあ居酒屋価格ではないものの、コスパで考えたらそれまで経験したどんな寿司屋より高かった。ウヒョーと心が歓喜したのと同時に、赤坂に馴染みの寿司屋を持つという大人の贅沢を手に入れたのだ。銀座のそこそこの店と比較すれば、1/3以下といったとところだ。以来、1人での訪問がここの楽しみ方のメインになった。親父さんと女将さんとの会話を楽しみ、刺身や握りとの真剣勝負を楽しむ場所だ。
最後の訪問になったのは、コロナ騒ぎがいよいよ本格的にうるさくなってきた頃のことだ。クライアントから誘われて赤坂で呑む機会があり、その開始前に軽〜くと告げて座った。飲食店への逆風が1日ごとに強くなっていたから、陣中見舞いだとも告げた。結果的にこれが最後になってしまった。冬が旬のマグロがこの時期にしてはいいと、まずは食わせてくれた。続けてよーく寝た(熟成させた)ヒラメと、こだわりのイワシをそれぞれ刺身でいただいた。そろそろ待ち合わせの時間が近づき「シャリ1つだけ握ってください」と、シャリ玉をもらった。この後に宴が入っているからだが、寿司屋に来てシャリをもらわないのは失礼だとの気持ちで、寿司屋で初めてシャリ玉をもらった。「ああ、やっぱり親父さんのシャリ好きだなあ」と言い残し、今となってはこの店での最後の晩餐を終えたのだ。
悔しい。コロナは人の心まで奪っていってしまう。暗い毎日の中で、気持ちがネガティブに引きずられてしまう。それこそが完全敗北だ。コロナに負けないでと言いたかったが、親父さんは70歳を過ぎているのだ。仕方ないと諦めるしかない。それほど飲食店に、いや、日本中に吹いている逆風は強い。せめて、50代半ばの俺たちは屈することなく、心のガハハだけはしっかりと持ち続けようじゃないか。負けないぞっ!!