さあ、今日はラブ・ジ・アース ミーティングだぞーっ。みんなジャンジャン来てね。さて、ブログ特別不定期連載記事『懐かしの名盤ジャンジャカジャーン』の続きだ。この連載は音楽と密接に生きてきた昭和40年男にとっての名盤を、僕の独断でセレクトしていこうというものだ。過去3枚は洋楽から選んできて、ついに4枚目は邦楽を出すことにした。となればRCサクセションでしょう。悩みに悩んで選んだ1枚は『BLUE』である。おーっ、そう来たかっと驚きの声が聞こえるぜ。2回目のテレビでの遭遇でシビレまくった僕は、友人から2枚のアルバムを借り、さらに自身初の邦楽アルバム購入に踏み切った。それが『ブルー』なのである。
高2の春である。同じクラスのそれまであまり親しくしていなかった女の子が、清志郎命とのことを知り、RCについて色々と教わったりやがて議論を交わすようになった。彼女はサブカルに精通していて、僕の高校では珍しい存在だった。どうしているかなあ? きっと清志郎が亡くなった日はさぞ悲しんでいたことだろう。忘れられないのが、彼女から『いい事ばかりありゃしない』で歌詞に出てくる「月光仮面が来ないのと、あの子が電話かけてきた」の部分の、月光仮面ってなんだかわかるかと聞かれ、情けない事にわからないと答えると、生理で月経から来ているんだと教えてくれた。ふっ、青い想い出さ。
この頃の僕は、それまで愛して止まなかったハードロックを完全否定するようになり、クイーンのアルバムは持っている事に嫌悪感を持つほど“ストーンズ的”な音楽にハマっていった。若さとは愚かなものよ。と、今では言えるが、当時の僕は一途にそう信じ込んでいた。甘くないシャープなロックしか聴かない。日本人でそこを走っているのは唯一RCなのだと、またまたしょうもない解釈で過ごしていた。こうしてハマっているところに大事件が起きた。坂本龍一とやらかした『い・け・な・いルージュマジック』のリリースである。チューしちゃったこと、そして、テクノポップ(この解釈もひどいなあ、でもね当時はこんなもんよ)最前線の男と組んじゃったこと、そして、CMソングになったこと。すべてが清志郎らしくないはずなのに、メチャメチャカッコよかった。昭和40年男にとって、この瞬間をハイティーンで迎えられたことは、神に感謝すべきだろう。そのくらいのインパクトをメジャーシーンというか、お茶の間に押し込んだのであるからスゴイのひと言である。さらに6月には『サマー・ツアー』をリリース、大ヒットさせてRCサクセションは誰もが知る存在になった。ここら辺の怒濤のごとくRCがのしていく感じをリアルタイムに感じられたのは大きい。よくビートルズとともに成長したとか、レッド・ツェッペリンがリアルタイムだったとか年上の方に自慢されることがある。昭和40年男は堂々と語ろう。「RCの全盛期が俺たちの青春時代なのさ、愛してま〜す」ってね。つづく。