づぼらやが閉店、憎っくきコロナ。

まずはお知らせから。毎週月曜日のお楽しみ、読者の集い「浅草秘密基地」はまだ再開には踏み込まないので、よい子のみなさんはもう少し待ってちょうだい。ただ、会場となっている浅草の「ショットバー FIGARO」は営業を始めたから、ぜひ応援に行っていただきたい。

 

「づぼらやの写真ある?」とメッセージを送ると、待つこと数分でこいつが届いた。相変わらず仕事が早いぜ。文中に登場する藤井氏撮影の新世界のカットだ

さてさて、タイトルのとおりづぼらやがコロナのバカヤローのせいで閉店することになったとのニュースを、今朝出社の電車で知った。ガーン。づぼらや? 大阪に縁のない方には何のことやらさっぱりだろうから説明しよう。食の大阪を代表する街、ミナミ道頓堀と新世界で、ひときわ目立つ店がづぼらやだ。ここの店頭でドーンと存在感を示すフグの提灯と、かに道楽のカニは大阪の2大オブジェだ。地元っ子はガキの頃から見上げてきたあたり前田のクラッカーな風景で、当然ながら親しみも強かっただろう。

 

少し以前の4月20日のこと。江戸では明治元年創業の、老舗弁当店「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」がやはりコロナの影響で閉店した。歌舞伎座の前でのれんを掲げて152年に渡り観劇者たちの舌を喜ばせてきたが、コロナの影響で幕を閉じるに至った報道は悔しかった。今度は浪速で同じく悔しすぎる閉店だ。

 

残念すぎる話ながら、個人的には少し胸をなで下ろした部分がある。というのも、つい先日 (と言っても、数年前のことだが) 大阪ミナミ秘密基地 の仕掛け人でありプロデューサーの藤井氏とミナミ呑みした時に、「おのぼりさんになりたい」と告げ、かに道楽とこのづぼらやをチョイ呑み食いでハシゴしたのだ。僕は昭和60年に大阪に渡りブイブイ言わしていた。いや、嘘。貧困生活を送っていた。音楽活動の拠点が新世界界隈にほど近く、バイトは道頓堀からほど近い「へのへのもへじ」という居酒屋だった。づぼらやもかに道楽もいつかと憧れながら、当然インすることなんかできるはずもなく、その巨大オブジェは眺めるだけの存在だった。その後も大阪には幾度となく訪れるものの、どちらかと言えば観光客相手との烙印を押していて入店には至らなかった。

 

最後に締めるバーまで、藤井氏とはいつも観光客の寄りつかないディープな店を好む。なのにこの日は一生に一度くらいと、スタートダッシュをかに道楽で、セカンドステップにづぼらやをエンジョイした。「外国人ばっかりじゃん」と、日本語がほとんど聞けない店内だった。そう、やはりどちらかと言えば観光客に対して強いというのは見て取れたが、老舗の看板を守り抜いてきたクオリティはさすがで、正直少しナメていた。づぼらやの美味ポン酢で食うフグは、東京だったらとてもじゃないがそのプライスでは無理というコスパだった。かに道楽ともに歓喜しながら過ごし、おのぼりさんになれた僕だったのだ。

 

飲食店だけでない。本当に大変なことになっていて、今廃業どころか自殺を考えている人がごまんといるだろう。非常事態は紛れもなくこれからなのだ。守ってきた看板を下ろす悔しさと苦しみは、自分に置き換えて想像してみるととてもじゃないが耐え難い。たかが29年の看板でさえそうなのだから、老舗が暖簾を下ろす決断をしなければならなかったのかと思うと涙が出てくる。づぼらやは1920年創業の100周年の年だったそうだ。大阪初のフグ屋だったとも報道で知った。その店名とは裏腹に、決してづぼらでない努力をしてきたのに残念でならない。繰り返しになるが、食っておいてよかった。そのたゆまぬ努力の重みを知れたのだから。本来であれば、オリンピックの来日者たちで過去最高の利益を出す年だったかもしれない。経営を続けてきた方々、関係者の皆様に深くお見舞い申し上げる。

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