まだ『昭和40年男』は影もカタチもなかった頃、バイク雑誌の編集作業に追い込まれている深夜にその悲しい知らせが届いた。2004年の6月10日にレイ・チャールズが亡くなった悲しみは、今も昨日のことのように強く記憶に残っている。気がつけば、もう16年も経っていたのだ。
高校時代に悪魔の音楽と出会い、魂を持っていかれてしまった。黒人たちから発せられるエネルギーと魂が乗ったリズム&ブルースやブルースに強烈にハマり、それまで大好きだった音楽に背を向けてむさぼりついた。なぜ神はかわいい高校生と悪魔の音楽を引き合わせてしまったのだろう。蟻地獄に落ちたかのように抜けられない年月をしばらく過ごしたのだった。
それでなくとも洋楽の情報を仕入れるのが困難だった時代に、R&Bやブルースを追い求めるのは困難を極めた。が、高校生は燃えたぎる情熱と潤沢に時間があり、多くの偉大なミュージシャンと次々に出会った。レイチャールズも高校生の時に『ジョージア・オン・マイ・マインド』で初めて聴くことができた。日本のミュージシャンも多くがカバーしている名曲中の名曲で、1960年に全米ナンバー1のヒットとなり、アメリカを代表するシンガーへのステップになった曲だ。僕は長いこと彼から発せられた曲だと思っていたがカバーで、オリジナルは1930年代とのことを後に知った。いやいや、絶対にオリジナルでしょと思えるほど見事なチャールズ節が聴ける。
黒人であることや、黒人たちに向けて自分たちの誇りを魂で歌った人だ。今のアメリカを見たらどんなに悲しむだろう。彼は人生の中でも差別騒ぎには何度も遭遇し、その度に苦しみながらも高らかに歌った。なぜこうも人種差別が横行するのだろう。なぜこうも人は愚かなのだろう。レイ・チャールズの歌に、今はせめて心をゆだねたい。