もうすぐ梅雨入りらしい。となるとこいつが街のあちこちで色づき始める。花ってのはつくづく偉いなと感じてしまうほど季節に従順に、かつ、ふさわしく咲く。春の到来が間近となるのに合わせて、ほんのりと梅の香りが漂ってくるとやがてブワッと桜が咲く。散れば夏の到来へと向かっていくかのように、元気なツツジやサツキの絨毯になる。そして夏への大切なブリッジの主役となるのが紫陽花で、やはり季節によく似合う。ほとんどの花が炎天下で美人になるのに対して、あじさいはどんより曇りの日や雨降りがよく似合う唯一の花だ。春から順調に力強くなっていく花々がブイブイ言わせてきたのに、ちょっぴりかわしているかのような存在でもある。最近はこのタイプのあじさいを多く見かけるようになった気がするが、やはり僕は下の写真のもっこりとしたタイプが好きだ。
この夏は、またもや初めて迎える人生56回目の夏だ。大好きな季節に向かって色濃くなっていくのを毎朝眺めるのは、ゆったりとしたカウントダウンのようで、季節の移ろいを感じることに多大なる貢献をしてくれる草花に、感謝の気持ちを胸に出社している。
少し以前に作った曲の歌詞に、こんな一節がある(ご興味のある方は全文がこちらの下段にあります)。
苦しみ抜いてるヤツにも なにかに怯えるヤツにも
真っ暗闇の俺たちにも 必ず朝は訪れる
平等なんてありえない 永遠なんてありえない
恐怖の中の俺たちにも 咲く一輪の花がある
うーむ、まるで預言者のようだ(笑)。いやいや、咲く一輪の花ってのがどんだけ励ましてくれるのだという、草花好きの僕らしい言葉が綴られている。
そしてやがて来る夏の花は何が好きか? ひとつは紫色の朝顔だ。ガキの頃、日当たりのよくない家の脇の路地にたくさん植えて楽しんだ。そしてもうひとつは力強いひまわりで、同じくこの路地では貧弱なのしか育たず、まるでやっとの思いで花をつけているかのようだった。やせ細った茎が懸命に支えているのが、我が家のひまわりだった。今住んでいる街の土手や公園に咲く立派なひまわりを見ると、当時の貧相な姿を想い出しながら笑顔になれる。本当に草花ってのは力とほっこりをくれるなあと、やはり感謝である。