前号より連載で、自分の家系図作りに取り組んでいる。ずいぶん以前から興味があった、自分自身の文化事業である。が、この極めて面倒な作業を自分でやるには重たすぎてず〜っと取り組めないままでいた。そんな折、ひょんなことから知り合った家系図作りを事業として取り組んでいる会社の家樹さんと知り合えて、雑誌とのコラボ企画を持ち込んだ。それにしてもお仕事ってのはいろんなものがありますなあ。
持ち前の図々しさを発揮して、僕の家系図を作りつつ『昭和40年男』用の家系図作りスペシャルバージョンを売り出してくれ(乞うご期待!!) と頼むと、快く引き受けてくれた。誌面では家系図が完成するまでドキュメントを掲載することにしていて、今回驚愕の事実が次々と見つかったのはお伝えしたとおりだ。
我が家の墓は爺さんと婆さん、そして平成7年に逝っちまった親父の3人が入っている。長男の僕は、爺さんから続く北村家の三代目の当主だ。と、言われて育ってきたし、墓もそれを証明しているからまさか疑う余地はなかった。が、今回の家樹さんの調査により、少なくとも六代以前のご先祖様と繋がることができた。戸籍から追っていく作業なのだが、現時点でわかった六代以前の当主の生まれ年までは判明しなかったが、その奥方が天保二年生まれということだから、その周辺ということになる。1831年で、ペリーが浦賀沖で日本を脅す以前の生まれということになる。世は江戸の太平がまだ続いていた頃だ。うーむ、ここまで繋がるとはロマンである。僕はもうすぐ55歳を迎える人生で、三代目当主とばかり思っていたのが驚愕の大どんでん返しを家樹さんによって知ることとなった、ぎょえーっ。
今後はさらに調査を進めてくれる。六代前のご先祖様の住んでいた新潟県の糸魚川界隈と、もうすぐ休館解除になるはずの国会図書館で、もしかするとさらなるご先祖様の名前を知ることになるかもしれない。なんともワクワクしている今日だ。
さて、土曜日のこと。出社の電車でメールをチェックしていると、時々購入しているという昭和40年女さんよりコメントが入っていた。フッ、罪作りな俺だぜと読み進めていくと、あるページで手が止まりキャッシャーへと運んだとある。そのページこそこの家系図作りの1ページだと続くじゃないか。フッ、そこまで惚れられちゃあ罪作りどころじゃないぜと思ったその次の瞬間???だ。このページに掲載したのが、私の家系図だとコメントが続いた。??? ぬぁんと、だいぶ以前の葬式以来会っていない、いとこだったのだーっ。これもまた小さなロマンを感じるが、まさか身内の方から売り上げをいただくとは、これこそが本当の罪作りだぜ。
「前号より連載で」とあるのに、その記事にたどり着くことが出来ない。これこそが本当の罪作りだぜ。