昭和60年の俺たち!!

毎週火曜日はSBC信越放送のラジオ番組の『らじカン』という番組でおしゃべりさせていただいている。毎度雑誌で扱ったネタを膨らませてもらえるので大変ありがたい。また、生放送で言葉を発するのは大変勉強になるから、真剣に取り組んでいるつもりだ。今日は最新号 (vol.60) の連載企画『夢、あふれていた俺たちの時代』で取り上げた昭和60年1985年についてあれこれトークを展開した。

 

あの年は、さらなる高いところへ向かって日本が一直線という空気が漂っていた。’80年に突入した時の何だか日本が変わったぞという雰囲気から、どんどんキラキラが強くなっていく。メジャーシーンはそんな感じで突き進んでいたところ、アングラも市民権を得ていくところに時代の魅力がある。お相手してくださっている “ラジオ寅さん” の異名を持つ根本 豊さんは劇団バリバリの俳優さんで、当時の小劇場が市民権を得ていく流れを振り返っていた。僕はといえばライブハウスを根城にして、やはり同様にそれまでのアングラの穴蔵から若きミュージシャンの活躍の場に変わっていくのを肌で感じながら演奏していた。インディーズバンドがメジャーシーンで活躍するなんてのも、この2年前くらいからだろうか、顕著に現れ出した。

 

『8時だョ! 全員集合』が最終回を迎えた話にもなった。俺たちに大きすぎる影響を与えた番組ながら、笑いのツボのシフトによって古びていった感は否めなかった。1985年はおろか、この何年も前に番組からは離れていたが、時代の要請が終わったことに強い悲しみを感じた。これは同世代諸氏に共通しているのではないか。僕は『オレたちひょうきん族』のナウでヤングな笑いにあまり馴染めなかったが、ただその新しさと斬新さには感心させられていたから、なおさら時代ってやつを強く感じさせられた。

 

さらにおニャン子クラブの話も展開されたが、僕はついていけなかったことをカミングアウトした。『昭和40年男』で記事を作ったくせに、あの当時からたくさんの女の子グループは見分けがつかないおっさんに成り下がっていたのだ。そうだったんだ、20歳にして今と変わらない。その後のモー娘。とか昨今の48系も変わらず、全く楽しめない自分が35年前に完成していたのだな、トホホ。

 

 

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