浅草が空いている。ガキの頃から親しんできた街なのだが、連日これほど空いている浅草を僕は知らない。普段は行列の店をゆったりと楽しむチャンスだ。
この天丼が我が北村家にとって、ご馳走の最高峰にある1つだった。我が家は電気屋を営んでいたから、家内安全の氏神さまと商売繁盛の神様を分けていた。そちらを担当していただいたのが、浅草の被官稲荷神社で、浅草寺の右隣の三社さまのさらに右奥にひっそりとある。ここで家族で手を合わせると最大のお楽しみが大黒家の天丼だった。
コロナの影響が僕の商売にも影響を及ぼすだろうから、今のうちに手を合わせておこうと出かけたのだ。「がんばるぞ」と心の中で繰り返すのが北村家の教えであり、今回はだいぶその回数が多かった。それだけ深刻ということだが、悩んでも仕方ないから悩まないと決め込んで連日ガハハを繰り返している僕だ。
そんなお参りを終えた僕は、ガキの頃と同じく大黒家へと向かった。普段はうんざりするほど並んでいるから、並ぶのが極端に嫌いな僕はほぼあり付けない。が、今は違う。浅草に人がいないのだから、当然ながら大黒家にも人がおらず、昼時だってのにすんなり入れた店内では昼間っから一杯呑っているうらやましい方々がのんびりと過ごしていた。カップルやご夫婦がほとんどで、ロンリーな僕はなんだかちょっぴり浮いた存在だったが、それもまたよかろうとかき上げ入りの天丼をオーダーした。待つことしばし。ここの天丼はフタ付きで運ばれてくるのがいい。海老の尻尾がはみ出ているのもガキの頃のままだ。このフタを開ける瞬間の高揚感たら、これもガキの頃とまったく変わらない54歳である。
飛び上がるほどうまい…、わけじゃない(失礼)。でもね、真っ黒な天丼は昭和の香りが満載で、しかも浅草という土地らしさを感じさせてくれる優しい味だ。昔の日本人のサイズのままのテーブルや椅子がまたいい。空いてはいるものの笑顔のあふれる店内は、コロナのことなんかまるで無関係のような幸福感で満ち満ちていて、おばちゃんたちは当然ながらすばらしい笑顔で客をさばく。お値段はこの一杯で1,750円と決して安くは無いが、それ以上に昭和を満喫できるから昭和フリーク(!?)ならきっと満足するはずだ。おそらく、これほどすんなり入れるのは今を逃すと2度と来ないだろうし、来てもらいたくない。さあ、出かけるチャンスだ。
子供の頃、浅草六区でバスを降りて、浅草寺まで歩く途中にありました。
大黒屋の天丼、美味しいですよね。
丼からはみ出たエビ天を、丼の蓋に乗せて食べてました。
しばらく食べてないので、コロナが落ち着いたら、食べに行きたいです。