17歳の春より居酒屋でバイトを始めた。これより3年後の居酒屋ブームを記事にしているのは、昭和60年を切り取った『夢、あふれていた俺たちの時代』での1セクションである。僕が働き始めたこの頃は、居酒屋の若返りが進行していたように思う。僕の通った店は『あいうえお』と名乗っていて、向かいの玄海や隣の大勝といった、今だったら大好きな居酒屋よりナウでヤングだった。さらにこの年の秋だったと記憶している、もっとナウでヤングな『かきくけこ』をこの会社ではリリースした。おっさんには居づらいくらい、連日連夜若者でごったがえしていた。
と、そんな上野にもやがてつぼ八がオープンしたのは、昭和60年前後だったように思う。かつてよりあった居酒屋チェーンの代表が養老乃瀧なら、ナウでヤングに振ったのがつぼ八と村さ来だった。この3つがこのころの居酒屋御三家と記事では呼んでいる。うーむ、確かにたくさんあったなあ。ちなみに僕は村さ来を“村さこい”と読んでいた。
今回取り上げた昭和60年ごろには、いっぱしにチェーン店は好みでないのが多いと、今の僕と変わらぬ台詞を吐いていた。これは『あいうえお』や『かきくけこ』がチェーン店とは少し異なるが、大箱ゆえそれっぽい雰囲気があったからだ。そんな僕が好んだのは、朝の4時までやっている五右衛門なる店で、バイトの帰りによく寄った。カウンターとテーブルがいくつかの個人店で、従業員と客たちの関係が素晴らしかった。
30過ぎのソープ嬢や50過ぎのラブホのフロントマン、上野の水商売でブイブイ言わせている会社のめちゃくちゃ渋い専務さんなど、人種のカオスだった。そんな方々に末弟の僕がかわいがられないはずがなく、4時に店を閉めてから連れ出されることもしばしばあった。いい大人たちに囲まれて僕はすくすくと呑兵衛に育ったのさ。と、そんなひどい原風景が僕の昭和60年で、きっと今の人生にも大きな影響を与えている。なーんて当時の甘酸っぱい想い出をたくさん連れてきた記事だった。酒による数々の失敗や、酒の勢いでの恥ずかしい行動などなど、誰にとっても20歳ってのは甘酸っぱいでしょう。この記事でこの連載特集を締めたのは、そんな狙いなのさっ。