ウィ・アー・ザ・ワールド 〜大編集後記。

さあ、今日も元気に最新号のPRをさせていただく。しつこい巳年だからね。連載企画の『夢、あふれていた俺たちの時代』は昭和60年を切り取った。俺たち世代にとっては、大人の階段をだいぶ登って8合目といった頃ですな。当時の僕はミュージシャンになりたいと夢だけを見て走っていた…、うそ、女の子もいつも見ていた。そんな僕を号泣させた曲が『ウィ・アー・ザ・ワールド』だった。前年に英国から発信された『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?』にもやられたが、そこはアメリカ、スケールが超越していた。

 

話をうかがったのは『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』の著者で、ポップバンドのノーナ・リーヴスの西寺郷太氏で、さすが本をリリースしただけあって鋭いくだりがいくつも炸裂する。その辺は、ページを開いてご確認いただきたい。

 

リリースされたのが3月28日とのことで、僕はちょうど大阪に旅立つ直前だった。『ウィ・アー・ザ・ワールド』についてあまり理解しないまま旅立ち、超貧乏ミュージシャン生活を過ごし始めたころ、テレビのない部屋でラジオから情報を得た。こんな決起があるなんていい話だなあと曲に聴き入りながら、わかりやすくキャラクターを立たせる歌唱のバトン回しに感心させられた。が、まだそこまでで号泣させられたのは後日のことだ。梅田だったと記憶している。テレビで流されているのを不意に目撃して足が止まった。メイキング映像も流されて、僕はまるでかつての街頭テレビのごとくへばりついて観た。そして、泣いていた。「音楽ってなんて素晴らしいんだ」と。

 

愛と平和のために若者たちを決起させた『ウッドストック』は、それまでの僕にとってミュージシャンができる最高の貢献活動だと信じていたし、今でも大好きな世界観だ。そこに加わる出来事がまさか起こるとは奇跡だと思えたのが、この大阪梅田でのあまりにも感動的な映像だった。あの日、真昼間の街で流した涙の熱かったこと。今も忘れない、20歳の誕生日直前の暑い日の出来事だ。と、僕にとってはそんな想い出が詰まっている曲が『ウィ・アー・ザ・ワールド』であり、その記事を自分の本に詳しく掲載できて幸せなのさ。ぜひっ、ご一読くだされーっ。

 

さてさて、あの豪華なシンガーたちの共演だが、みなさんにとってのMVPは誰だろう? ズバリ僕はレイ・チャールズで、直後に来日公演を観る機会を得た時にあのパートを繰り返しで歌ってくれたのも感動だった。これがMVPに貢献しているのは言うまでもなかろう。ちなみに次点はシンディ・ローパーだ。さあ、いかが?

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1件のコメント

  1. 植草克秀もお願いいたします。41年ですが。吉川晃司は40年です。

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