このタイトルの答えは、ほとんどの昭和40年男がYESでなかろうか。記憶の奥にしまってあった、あの独特の食感までもが鮮やかにフラッシュバックするはずだ。ナンバーワンなお菓子でなかったが、なぜか誰もが好む渋い存在だった。さて、僕らは当時この1箱にいくら支払っていただろう。これが昨日の議論を呼んだのだった。
読者の集い『浅草秘密基地』でのことだ。土曜日に開催した『福岡博多秘密基地』に、東京から乗り込んでくれた常連の浅野さんが、お土産に買ってきてくれた。居合わせた一同は「懐かしい〜」と声を上げ「おおーっ、オブラートっ!!」「これこれ、この食感!!」とか、やや興奮気味な俺たちだった。13歳上のマスターと、ちょうど昨日は同級生の方もいらしていて、ひとまわりちょっと上のお2人も懐かしいと声を合わせた。さて、いくらだったとの問いに「5円とかじゃなかったっけ」と曖昧だ。
昨日の参加者は旗日の前だってのにちょっと寂しい7人で、しかも男子ばかりで下ネタになりそうなところをこいつが引き戻してくれた。「10円だった」「20円」「いやいや、意外と高級で50円だ」と意見はまったく着地しないままだった。うーむ。いかがでしょう?
作っている会社のサイトを見るとなんと大正時代から作っている。そりゃあマスターたちにも懐かしいわけだ。でも、昔はもっととんがった味だったとか、もっと甘かったとか好き放題言いながら、この食感でさらに思い出させられた。もっと小さくてピンクの9個とか12個とか入っていて楊枝で刺して食べる駄菓子のことだ。あれはなんていうお菓子だったのだろうと、そんな行き場のない記憶の旅を楽しんだおっさんたちで、おもしろいのはそんな多くの疑問が横たわる会話なのに誰もスマホを見ない。持っていながら調べようとせず、議論の中から回答を導き出そうとする。これって昨今の若者たちには「わかるかなあ、わかんねえだろうなあ、イエー」
ボンタンアメと兵六餅。
今も食べますよ!
中学生の頃、先生から「こんボンタンアメが!!」
と、よく叱られました。(このボンタンアメが!!)
おそらく「あんぽんたん」と「ボンタン」を掛けた
のでしょう。
ジョニー藤好さん、こんボンタンアメがは大爆笑です。やはり九州のお菓子だけありますね。こちらではそこまで暮らしに入り込んでません(笑)。