表紙で振り返る令和元年 ~その七。

あけましておめでとうございます。今日もぶっ飛んで楽しみましょう。俺はとにかく呑みます。箱根駅伝を肴にペースを緩めることなく呑みます。

 

発行ペースも緩めなかった令和元年だ。8月の総集編はご覧のとおり、音楽モノで固めた。俺たちの時代のラジカセやオーディオの発展は、まさしく日進月歩に感じられた。次々と新しい技術が投入されては、魅惑を放つニューモデルが投入される。レコードやカセットといったアナログメディアの再生時代だから、音の差異が作りやすかったのかもしれない。とにかくやっちまえ的なメーカーのパワーであふれていた。

 

ハードだけでなく、そのソフトにあたる音楽そのものも地殻変動を起こしていた。新しい音楽を模索する才能が、巨大になる一方のマーケットに集まったのだ。豊かな才能が次々と花開いては俺たちに提供された。自然と新しさを求めながら音楽を楽しみ、もっと新しい音を求めてラジオにかじりついた。そのラジオもいい音で聴きたいから、やはりハードは次々とニューマシンが送り込まれた。いやあ、百花繚乱時代だ。

 

9月には本誌で、僕は5月にリリースした『俺たちのお母さん』特集以上の勝負に出た。結論から言えば、この本も同様に苦戦を強いられたのだが、それ自体はあり得ると覚悟しつつも挑んだ。編集部から反対意見も出たほどだ。それでも僕は暴走族のリーダーのごとくアクセルを緩めなかった。

 

還暦は俺たち世代にやがてやってくる大きなテーマだ。70歳まで働くとか、年金支給がどうだとかやたらとやかましい世の中で、俺たちは俺たちらしい還暦を作ろうとの提案だったのだ。迎えるその年が昭和100年というのが、なんだか見事にハマる。だから昭和40年男の僕は「還暦上等」を1つのスローガンと捉え、今後育てていきたいと思っている。

 

そんなチャレンジングなことを10周年記念号で実施できたことは、手前味噌ながらうれしい。大騒ぎの10周年にしたかったから、僕は目一杯騒いだ。それを置きに行かないようにと心に誓っていたから、こうして記念号を打ち込めたことに “らしさ” を強く感じている。令和2年もこうしたチャレンジングな本づくりの手は緩めない。あっ、くどいけど今日の酒もねーっ!!

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