うーむ、いい表紙じゃ(自画自賛)。コイツは4月にリリースした総集編だ。
俺たち世代における『3年B組金八先生』の視聴率はどのくらいだろう。相当高いと感じられる。当時の荒川区は校内暴力特区で結構荒れていたから、加藤 優くんの騒動にはそれほど衝撃を受けなかったが、15歳の妊娠にはびっくらこいた。やっと雄しべと雌しべがわかってきたものの、女の子はものすごく遠かった。ウブだったのさ。奥手だったのさ。モテなかったのさ。
ギターをかじっていた僕として印象的だったシーンが、よっちゃんが金八先生に聞いてくれと、レッド・ツェッペリンの名曲『天国への階段』のイントロを電話越しに弾いたことだ。当時、僕も狂ったようにギターを弾いていたから気持ちがよーくわかった(笑)。
俺たちを育んでくれたテレビはパワフルだった。今のような萎縮しまくっているのと違い、表現の最先端があった。新聞という報道、テレビというエンタメ、そして雑誌とラジオが日々更新されていく若者文化やサブカルを発信するという、それぞれのメディアの特性をフルに活かしながら共存していた。ここにある日、インターネットという黒船が入り込んで、バランスが崩れてしまった。ネット社会は誹謗中傷社会を作り上げ、コンプライアンスの遵守や弱者救済ばかりが取りざたされていき、そこに抵触しないように作らなければならないメディアばかりに成り下がった。もちろんいい面が多々あるネット社会ながら、表現者たちをスケールダウンさせてしまったのは否めない。だから僕は表紙に記した。“苦情や抗議なんかにへこたれないなんでもありの時代”とは、今の脆弱な社会への批判も入れこんだつもりだ。
って、なんの話だった。実質月刊を狙って作っている総集編は、この号も大好評だった。それまで本誌をまったく知らなかった読者たちを呼び込む作戦は、うまくいっていると手応えを得るに至ったのがこの頃だ。それにしても、この1冊に掲載された番組たちに育てられた俺たちはやっぱり幸せだなあ。