我が団地のエントランスに約1ヶ月飾られたコイツは、今日撤去されてしまう。が、今朝もまだピカピカと頑張っていて、クリスマスが終わったことも撤去されることもまるで知らないかのように見えてきて「よく働くねえ、お疲れさん」な〜んて気分になっちまった。
俺たちはいつまで働くのだろう。70歳まで働けとか年金がどうのとか議論を呼んでいる昨今に、僕はちょっと腹立たしく思っている。そこに、1日過ぎても頑張って働くツリーがクロスオーバーしてきた感じがして、駅へと向かう道すがらあれこれ考え込んでしまった。働けるか否かは努力を怠らない本人と、そして社会全体の努力となるのだが、政府はきっとミスリードしながらドヤ顔で助成金がどうのとか言い出すのだろう。こうした時のピントの外れ方ってどうにかならないものかと、いつもうんざりさせられる。有識者の意見を集めなんて常套句を使うが、庶民のことなんざまるで置き去りの意見交換でしかないのだろう。働き方改革なんてのも同様で、現場を知らないおぼっちゃまたちが押し付けるからどれだけ混乱しているかなんてまるでわかっちゃない。大手の皆さんもひっくるめて、悲鳴しか聞こえてこない今日だ。てなわけで、腹立たしく思っていのだ。
と、いかんいかん、底ぬけ脱線ゲームになってしまった。本人の努力次第とはしたが、加齢と向き合っている俺たちに衰えは残酷にのしかかってくる。加えて、社会の激しすぎる変化にさらされている。そんな中で僕は、貴重な資源を頂戴しながらモノ・コトを生み出しているわけだが、本当に人さまの役に立っているのかと自問したりもする。1日遅れのクリスマスツリーになっちゃいないかと。いやいや、コイツは決して用無しなんかじゃない。ピカピカと光りながら、少なくとも今朝、僕の気持ちを柔らかくしてくれたもの。そう、どんなに社会が変わろうとも、人さまに優しくあれと願いながら仕事を続けていくだけだ。なーんて、とりとめのない話だなあ。
もうすぐ、1月11日発売の『昭和40年男』の作業がすべて終了する。そんな年の瀬だから、思考を昇華させたくてウズウズしている感じがするのはちょっとあざとく思えなくもないが、もちろん悪くない気分だ。1年で最も安らかで優しい気持ちになれるのが年越しだ。いろんなことを想い出して、どれもこれもに意味があったことを再確認して、感謝の気持ちを強く抱き大晦日には「すべてにありがとう」とつぶやきたい。そこへと気持ちが向かい始めている今日だ。