冬至なんですな。

写真はイメージです。暮れになるとこいつを聴きたくなるのは、華やかさ心地よいからだな

昼が最も短い今日は冬至だ。皆さん柚子湯を楽しんでいるのかな? 僕が育った家は長屋で風呂がなく、銭湯生活だったからでっかい湯船で柚子湯を楽しんでいた。昨今の企業における喫煙室グルーフじゃないが、当時の荒川区では風呂のない家が多かったから風呂グループがあったように思う。仲良しは裸の付き合いから始まるのだ。

 

「今日どこいく」「ボロ湯でいいんじゃん」「たまには電気湯行こうぜ」「俺電気嫌いだもん」
この会話を通訳すると、ボロ湯はそのまんまボロい。だが、僕らにとってニーズが高いのはそのボロさゆえ、いつも空いていたからだ。よく聞く話だろうが昔の風呂屋にはおっかない爺さんがいた。湯船に水を足すなとか、湯船の縁に座っておしゃべりを楽しんでいると「静かにしろっ」と怒られる。が、ボロい銭湯はそんな爺さんに当たっちまう率が低いから、ますますニーズが上がるのだ。電気湯は、当時ではハイテクなビリビリする湯船があり、比較的キレイな銭湯だった。と、そんな感じが僕のガキの頃のお風呂ライフである。

 

やっぱりまだまだ貧しかった。が、みんなそうだから当人たちは全然へっちゃらだった。確かに、スッゲー金持ちとの差異は感じていたが、いつもちゃんと腹一杯食わしてもらったし、正月には天に昇るようなご馳走の数々を食卓に並べてくれた。この原体験がそのまま自分の正月になっている。暮れの喧騒もなんとなく楽しめる(地獄なんですが)のは、親父が営んでいた昭和の電気屋ってのは、大晦日までてんてこ舞いの大忙しだったからだ。師走ってのは休めないってのが、ガキの頃から染みついている。

 

今年もあと10日を切って、キラキラした気分を味わいながら1つひとつのイベントごとで心のゆらぎを楽しんでいる。そんなあったかさを感じられるのは、貧しさの中にあった昭和の豊かさの恩恵だな。もちろん本日柚子湯に浸かっている暇なんざないが、そんな気分だけでも味わいながら過ごしている今日だ。

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