ビリー・ジョエルとの出会いはカッコいい口笛から始まった。このサイトではもう何度その名が登場したかわからないほどネタにしている『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』の1978年の年間ランキングの放送だった。忘れられない中1の冬のことで、年間でのベストテンということはすげー奴らばかりなのだとほぼ全曲テープに収めた。ビリー・ジョエルは『マイ・ライフ』と『ストレンジャー』の2曲をランクインさせていた。
好感を持ち、欲しいレコードリストにノミネートされるものの、ティーンズの頃の僕はとうとう購入には至らなかった。ギターを弾いてバンドを組んでいたから、どうしてもバンドものやロックものを最終的に購入することになってしまうのだ。ちなみにリストアップされたのは、アルバム『ストレンジャー』と『グラスハウス』だった。
記事は昨日もつぶやかせていただいた、連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』で取り上げた昭和57年の出来事のひとつとして『ナイロン・カーテン』のリリースがあり、これを中心に構成している。が、それにとどまらず、この4ページには実に多くのネタが詰まっていて楽しい。囲み記事が3つにコラムがひとつ、ジャケ写が全部で9枚という執念を感じる構成だから、ぜひ読み込んで欲しい。
昭和40年男にとってはリアルタイムのビッグミュージシャンだ。みなさんはどの曲がベストワンだろうか。と、尋ねておいて自分のベストワンが定められない。出会いの曲となった『ストレンジャー』かなあ。浅草秘密基地で歌っている『ガラスのニューヨーク』もいいなあ。桑田佳祐さんが嘉門雄三名義で歌った『さよならハリウッド』もいいしなあ。悩むなあ。うん、今日のところは『ピアノマン』にしておこう(笑)。