デビュー曲から立て続けに3曲『ザ・ベストテン』ランクインしたのは鮮烈だった。きっと皆さんも強く記憶しているだろう。今回の記事でも語っているようにアイドルとみられていたが、男子の多くはそうはとらえていなかったのではないだろうか。作曲を手がけていることからも、すげーミュージシャンが出てきたよ(どっから目線じゃ・笑)と僕は驚愕した。決定打になったのが、3連発後の『タイム・トラベル』だ。なんちゅうかっちょいい曲だと、エアチェックしたテープが擦り切れるほど聴き込んだ日が懐かしい。このヒットは中1のことで、洋楽に目覚める直前だった。
その後、洋楽ジャンキーになってしまい、登場いただいた兄貴に失礼な話だが、しばらくの間原田真二さんの名前は3連発プラス『タイムトラベル』の人で止まっていた。だがある日、当時組んでいたバンドのギタリストがこの曲カバーしようぜと持ってきた。「ああ、キャンディの原田さん」と言ってしまった僕だ(すんません、兄貴!!)。「まあ、聴いてみろよ」と流れてきた曲は、聞き覚えはある声なのに止まったままの原田さんとは随分違っていた。
『雨のハイウェイ』とタイトルされたその曲はものすげーカッコいいサウンドで、ちょっぴりハードな仕上がりだった。「やろう」とバンドで取り入れることになったが、あまりにカッコいいアレンジに手が加えられずにライブで披露することはなかった。というのも、当時バンドがオリジナルでない、他人様の楽曲を取り入れる場合は、コピーでなく自分達流のオレンジを加えて作り込んで演奏した。ロッド・スチュワートが原曲をぐっちゃぐちゃにして自分流にしているのを真似ようと努力していたのだ。久保田早紀さんの『異邦人』とか、アンルイスさんの『ラ・セゾン』なんかはうまく自分達流に作り込めて、ライブでもリストに挟み込んだりできたが、『雨のハイウェイ』はとうとう自分達のものにできなかった。手も足も出ないとはこのこっちゃ。と、原田さんを尊敬するに至った曲で、カラオケでは定番になっている。そんな原田さんの想い出があり、今回のインタビューは現場に行きたかった。残念ながら行くことができず後悔している。
この写真、カッコいいじゃないか。7つ上だよ。まさに前号の還暦上等をそのままいっているじゃないか。そしてこのキャッチコピーはもちろん原田さんの言葉だ。うんうん、『昭和40年男』が出したいメッセージとピタリとシンクロしていて気持ちいい。10周年記念号にふさわしく、ありがたい気持ちでいっぱいっす、兄貴!!