どんな雑誌もそうだが、当然のことながら売り上げには浮き沈みがあり、それをもっとも大きく左右するのが特集である。去年の7月に『昭和40年男』の50号を記念して組んだ特集の“昭和洋楽”はよく売れた特集だった。ありそでなかったこの言葉は、70年代の終わりと80年のスタートの洋楽シーンをリアルタイムで感じられたことでひねり出せた。僕はこの特集で定義した世界観を、広くプロデュースしていきたいと企んでいる。
当時はなんの知識もなく、英語の曲ならかっこいいと背伸びするようにむさぼりついた。後に音楽をカテゴライズして語りだすわけだが、そんなんは百害あって一利なしと今になるとわかる。雑誌ミュージックライフとラジオから徐々に知識を蓄えては、受け売りのロジックで武装して行った僕だ、ヤレヤレ。それが前述の時期はカテゴリーなんかで色眼鏡をかけないで聴くから、ごちゃ混ぜに“いい曲”を楽しめた。例えば79年(中1〜2)のヒット曲であれば、シックの『おしゃれフリーク』もナックの『マイ・シャローナ』もロッド・スチュワートの『アイム・セクシー』も全ていい曲とカテゴライズして楽しんだ。
この年で強く思い出に残っているのがロッド・スチュワートだ。テレビで見た彼はそれまで見たどんなシンガーよりイカしていた。なんで僕はブロンドでないのだろうと、わけのわからん気持ちで眺めてはうっとりしていた。そのとき歌っていたのが『アイム・セクシー』で、そのまんまLPレコードを手に入れた。クイーンの『ジャズ』『オペラ座の夜』に続いて3枚目に購入したアルバムだったが、残念ながらこのアルバムはあまり好みでなかった。後に知ることだが、彼のそれまでのキャリアでもっともよくないアルバムだったのだ。
いや、これこそが今に至った僕が昭和洋楽なのだと自信を持って呼ぶことができる。あの頃は、大物が流れに乗っかっちゃって、後世になってダメダメだと言われてしまう作品が次々とリリースされた。特にディスコミュージックの要素は多くのミュージシャンが取り入れてはヒットチャートを駆け上がった。それによって、僕のような新しいファンの獲得にもなったのだからいいだろうし、そのような曲がバンバン売れた日本の市場があったことも素晴らしい。これらの現象すべてが昭和洋楽なのだ。皆さんのうなづいている姿が目に浮かぶよ(笑)。