「国鉄」最後のエキゾチィ~ック・ジャパ~ン♪ 昭和59年・第35回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲や世相を振り返る!

国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は、今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。第14回目は、国鉄キャンペーン・エキゾチック・ジャパン、最後のキャンペーンソングとなった、郷ひろみ『2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-』がヒットした、 「昭和59年・第35回大会」です。

この年も「花の82年組」の活躍が続きます!

デビュー3年目の「花の82年組」から、ついにキョンキョンこと小泉今日子と、ドラマ『スチュワーデス物語』の「ドジでのろまなカメ」で人気を博した堀ちえみが初出場! デビュー即大ブレイクとはならなかった二人ですが、着実にその人気を定着させてきました。小泉今日子はこの9thシングル『渚のはいから人魚』で初のチャート1位を獲得し、ここから一気にトップアイドル街道を突っ走ります! 同期の中森明菜は、この年の日本レコード大賞で金賞を受賞、1月1日発売の『北ウイング』は大賞の次点となる大活躍でした。紅白での歌唱曲『十戒(1984)』はこの年発売された3曲目で、もちろんチャート1位を獲得。いよいよ歌姫・中森明菜の伝説の始まりを感じさせてくれる大晦日の明菜でした。

チェッカーズが大ブレイク

そして、白組からは、昨年デビューしたチェッカーズが初出場。2ndシングル『涙のリクエスト』のヒットで大ブレイクし、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』、3rdシングル『哀しくてジェラシー』と3曲同時にベストテンランクイン。曲だけでなくそのファッション性なども社会現象を巻き起こすほどの快進撃をみせました。オリジナル曲を作れる実力をもちながら、アイドルバンドであることを否定しないさわやかさがその人気の秘密だったのでしょうか? 以降、紅白には1992年の解散まで連続出場をするという安定した人気を誇っていくこととなります。

そして、あのベテラン歌手も初出場

かつてペドロ&カプリシャスのボーカルとして出場経験がある、紅組の高橋真梨子が、ソロデビュー10作目のシングル『桃色吐息』で、ソロ歌手としての初出場を果たしました。アイドルとは対極の、まさに大人の女の歌でしたが、昭和40年男も19歳、そんな大人の歌もわかる年齢になっていましたね。そして、白組はドラマ『西部警察』シリーズで人気となった舘ひろしが初出場。ご存じのとおり、ロックバンド「クールス」のボーカルで、もともとは歌手です。というよりも、自身で作詞や作曲もするのでシンガーソングライターといったほうがいいでしょうか。俳優業のかたわら、続けてきたソロ歌手としての活動が花開き、晴れのステージで自身作曲の『泣かないで』を歌唱しました。

時代はバブル前夜…。「グリコ・森永事件」でかい人21面相を名乗る犯人が、次々とお菓子メーカーを脅迫するという、前代未聞の事件が世間を騒がせた年でした。そして、文春が「疑惑の銃弾」と題して掲載した記事から、一連の「ロス疑惑」が大きく取り上げられ、ワイドショーでは連日話題の中心に。そんな、暗い話題も多いなか、テレビCMをきっかけにエリマキトカゲやウーパールーパーなどの、いわゆる珍獣が大ブーム!オーストラリアからコアラもやってきました。 禁煙用「パイポ」の、「私はこれで会社を辞めました」というユニークなCMも話題になりましたね。そうそう、一万円札が聖徳太子から福沢諭吉になったのも1984年でした!

そして、この年昭和40年男世代の物欲を最も刺激したのは、CDコンパクトプレーヤー・ソニー『D-50』ではないでしょうか。手のひらサイズのCDプレーヤーが4万9,800円という、手の届く価格で発売されました!ウォークマンのようにCDを持ち歩く時代がすぐそこまできていることを予感させた出来事です。そして昭和はいよいよ60年代へ入っていき、バブルの足音が聞こえてくるのであります!

※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P32~33に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)

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