鈴鹿8耐のおもひで。

あの日から約1ヶ月が過ぎた。昨日発売の、世界で唯一のオートバイロードレース専門誌『ライディングスポーツ』最新号を見ると、あまりにもはっきりとあの日のことがフラッシュバックする。

 

8時間もの時間を走って、優勝したカワサキとの差は2位ヤマハが18秒、3位ホンダが48秒と、本当に素晴らしいレースだった。1999年以来、20回(1度欠席してしまった)の取材歴の中で、完全なるベスト1レースだった。箱根駅伝で、もしも最終ランナーがこの時間差だったら日本中が騒ぎになるだろう。そのくらいのレースだっが、残念ながら日本でバイクレースは一部のマニアのものでしかない。

 

余談ながら、イタリアにバイクショーの取材に行ったとき、行きの飛行機で読んだ『地球の歩き方』にはイタリアでは所得トップがバイクレーサーだと掲載してあった。海外でレースの取材歴はないが、話に聞くのはバイクのレーサーはスーパースターで、道を歩けば人が寄ってくるほどの有名人だそうだ。『鈴鹿8耐』は世界中の注目を集めていて、プレスルームは外国人記者が多い。バイクは日本が誇る産業でありながら、この温度差がいつも悔しくてならない。

 

僕はカワサキのファンブースの盛り上げ役を仰せつかっていたから、レース残り30分のところからカワサキのスタッフと一緒に過ごしていた。皆一同、もちろん優勝を信じていたものの、まさか本当に勝つのかという不思議な気持ちで見守っていた。一歩一歩優勝を手繰り寄せていき、少しずつ確信に変わっていくファイナルラップであの転倒だった。失格との判定が下り、その後約2時間を経て優勝へとひっくり返った。これを聞いた直後の僕はなんらかの検証記事を作ろうと燃えていたが、今となってはもうその必要はないかなという気持ちになっている。誰に責任があるわけでなく、あまりにも複合的なミスだった。そしてこの表紙を見ていると、カワサキが勝ったという事実しかない。

 

最高のレースが、ジョナサン・レイの転倒の瞬間で終わってしまった。それを乗り切ってファンブースのステージに立ったこと。集まってくださった皆さんに心を届けながら、声が震えてしまったこと。そして僕の力不足からだろう、その心を思い切り踏みにじった方がいたことなどなど、生涯忘れない夏の思い出となった。取材20回のメモリアルにふさわしい波瀾万丈だったなと、この1冊を眺めながら遠い夏の日のように思っている初秋だ。

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