昭和40年男の少年時代は、決して楽しいことばかりじゃなかった。今思えば笑っちゃうようなことでも、俺たちは真剣に悩み、戦っていた! ここではホロリと苦い “悲惨な戦いの記憶” を通じて、昭和40&50年代という時代を振り返ってみたい。
フライを落として人間失格?「ゲッツー!」と叫び、友達が鬼に豹変!
昭和40年男のみんな、野球は当然好きだったよな? 俺たちがガキの頃は、プロ野球は王さん長嶋さんのON全盛時代。テレビをつければ野球! マンガも『ドカベン』とか大人気で、放課後は近所の空き地で毎日、日が暮れるまで野球三昧でさ。
……なーんつって実は俺、野球が嫌いだったんだよね。運動音痴だったし、我が家はプロ野球を全く観ない家だったから、ルールも全然知らなくって。プロレスは観るのも、身体がデカかったから「ごっこ」も好きだったけどね。
でも体育の授業でやたらソフトボールが多くて、野球のヤの字も知らない俺も、グローブはめてグラウンドに立たなきゃいけない。「打ったら右側 (一塁のほう) に走ればいいの?」なんて言ってる俺が。そんな感じでどーなるかってーと。
「何やってんだよお!」
フライを取り損ねた俺に、普段は仲がいい友達が罵声を浴びせる! 俺はいつも、打球があんまり飛んでこなさそーなライト専門だったけど、それでもたまに打ってくる奴がいるんだよね、ライト方向に!
一応飛んでくる球を取ろうとジャンプしてみたりして。でも球は俺の頭上遥か高いところをすげー勢いで飛んでって。そして取り損なって転がっていくボールを追う間に、敵のランナーが回ってホームイン! 俺のエラーで、敵に一挙4点追加! みたいな。
「お前のせいで負けた!」
いたんだよ。体育が終わり給食を食べて、5時間目の国語の時間になっても、俺を責め続ける奴が! 授業の野球で負けてそんなに悔しいか? でも奴らは憎悪むき出しで俺を睨み、反論も許されない。なんで?
というわけで野球そのものが嫌いっていうよりも、野球で友達が豹変するのがイヤだった。「ゲッツー!」とか叫んで狂気じみていく友達を見ると「ゲッツーってなんのこと?」と思いつつ、心の底からイヤだった。
ある時地元で少年野球チームが結成されちゃって、全員強制参加! 土日はノンビリ過ごしたいのに練習に駆り出されてさ、マジでイヤだったね。
コーチは近所の野球好きオヤジ。へタクソな俺はすぐ、オヤジの格好のエジキになった。
「お前は残って特訓だ!」「やる気あんのか!」って父でも教師でもない近所のオヤジに「野球ができない」だけで、なぜ罵倒されなきゃいかんのか? まあこのチームはすぐ解散して、土日は自由になったけどね。
中学、高校と進むと、体育をチンタラやる奴も増えて、エラーしてガタガタ言われることもなくなった。やっと解放された――と思ったら、まさかの「その先」があったんだよ。俺が新卒で就職したのは、よりによって野球がシンボルのY社!
全社を160チームに分け、社内対抗野球トーナメントが毎年行われ、新人は全員参加!
そしてフライが取れない俺に、野球大好き上司が言った。
「お前は残って特訓だ!」
まさか社会人になって、再びこのセリフを聞くとは。ってか俺はこの会社で営業だったんだけど「営業トークに必要だから野球ぐらい見ておけ」って言われるし。いろんなスポーツがあるのに、日本社会はなぜ野球だけこんなに「避けて通れない」感じだったのか。社内対抗プロレス大会なら、喜んで参加したのになー。
今も近所の河川敷で、土日は少年野球の練習していてさ。コーチはその辺のオヤジで、やっぱ「ゲッツ―!」とか「何やってんだ!」とか怒鳴ってて。昔のつらい記憶がよみがえるね。
野球自体に罪はないけど、野球っていうと「ここぞとばかりに」デカいツラする奴、興奮して見境なくなる奴が嫌い。草野球じゃなくて草プロレス、盛んにならないかなー。無理か。
文: カベルナリア吉田
昭和40年生まれの紀行ライター。普段は全国を旅して紀行文を書いている。新刊『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル) 絶賛発売中! 8月11日 に 大阪 ロフトプラスワンWEST でトークショー「集まれ! ぼくらビジホ朝メシ仲間」開催。よみうりカルチャー荻窪主催の都内散歩講座とオキナワ講座も開講中! 趣味はバイオリンとレスリング、料理も少々。175cm × 83kg (少し戻った) 、乙女座O型
【『昭和40年男』2019年 4月号/vol.54 掲載】