「うぎゃ、大浴場(小さいが)にトイレ共同かよ」と昨日のイベント終了後の僕は、宿泊予約担当に言った。すると「これでもこの界隈で一番安いんです」と返ってきた。「ふーん、盛岡の宿って高いのね」と、その場では引き下がったのだが、実は幸運な俺たちだった。といのも昨日の宿泊価格はつり上がっていたのだ。
イベント終了後のお楽しみはその地を知り食すことだ。前述の通り、宿に若干の不満はあるものの繰り出す時はやはりウキウキワクワクする。そして、僕はすげー幸運だったことを知った。昨日は『盛岡さんさ踊り』というでっかい祭りだったのだ。となれば、その見物ができる飲み屋にしようと陣取って、スタッフ一同イベントの労いを開始した。
が、客が全然入ってこない。祭りのパレードを開催する大通りにほど近い場所の店で、盛岡っ子たちは祭り見物に夢中で、飲み屋になんか腰を下ろさないのだろう。ならばと、僕らは順番に祭り見物を楽しむという贅沢を味わうことにしたのだ。先に若い衆に行かせて、それぞれがすごいですと返ってくる中、僕も30メートルほど先の祭り通りに行った。すっ、すっ、すごいっ。太鼓を叩く者、踊る者、歌う者などなど、いろんな役割が1つになってものすごいパワーを放出していて、自然と涙が溢れてくる。「人間ってなんてすげーんだろう」と、つぶやいている自分がいた。
席に戻って先に見学を楽しんだ者たちに投げかけた。地域文化とかけ離れている勢いのあるのリズムは東北らしさだけでなく、もっと南方とのミックスを感じると。太鼓を抱えて踊る感じも、沖縄のエイサーを彷彿とさせるじゃないか。調べてみると昭和53年に始まった比較的新しい祭りだ。うーむ、さすが僕はお目が高いと自画自賛だ。今日のところはこれ以上深く掘るのは時間がないが、ぜひ源流を勉強したくなった。そして再度祭り見物を楽しみたいと、人生にとってうれしい課題がまたひとつできた。
祭りってのは全国津々浦々にあり、それぞれに深い物語がある。それを知ることができることは、人間の最高の贅沢の1つである。頑張ったイベントの素敵なご褒美だったのだな。