多摩蘭坂の家を借りてた清志郎さん!!

取材で国立界隈を車で走っていると、不意にたまらん坂の文字を見つけた。「ここがRCの名曲の場所ですか?」と、取材をナビゲートしてくれた方に聞くと、以前は石垣にファン書き込みがあったと言う。不意に聖地へと足を踏み入れることができ、一瞬にしてハイスクールララバイである。

 

アルバム『BLUE』のリリース後のライブがテレビで放送されてビデオに録画した。当時の僕にとってはものすごくありがたい番組だった。初の武道館公演の収録で1981年のクリスマスの模様で、アルバムから多くが収録されていた。チャボさんがリードボーカルをとる『チャンスは今夜』は、サイコーにご機嫌な演奏だった。この曲は、その後RCのライブでも重要な曲になっていて、清志郎さんの完全復活ライブでもハイライトのひとつだった。ちなみに最新号の特集『消えた…俺たちの夏』で新島伝説のページのメイン写真の解説に、この曲のエッセンスをさりげなく入れたことに気が付いた方がいたらうれしいなあ。

 

そしてこのライブで強く光り輝いていたのが、『多摩蘭坂』だった。多摩蘭坂の坂の途中のアパートに住んでいると歌われた名曲で、シンプルな歌詞からは情景がバッチリと浮かぶ。日本語の歌詞をしっかりと伝わるように歌う清志郎さんの歌は、高校生の胸の奥底に響き渡った。このビデオは何度も何度も繰り返し、まさに擦り切れるほど観た。その度にあの派手な衣装とこの曲の歌詞がミスマッチに感じたものだ。『スローバラード』とともに、清志郎さんのバラードの傑作である。

 

電気屋で、当時デモ用にビデオデッキの新品を1台おろしていて、店で見ることができた。営業時間内はNGだったんで、夜9時以降に閉店した店でこのビデオを中心に夢中になっていた僕だ。ビデオテープが高価だったから、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』、『ベストヒットUSA』などから曲単位で録画しては楽しんだ。そんな記憶をすべてフラッシュバックさせたたまらん坂である。音楽ってのは時間までもパッケージして記憶させてくれる。その記憶の中に占めるRCの割合はきっとベストテンに入るだろう。そんな僕だから、すげー心ウキウキだったのだが取材が優先で、ほんの一瞬撮れた写真があまりその風情は感じさせないこの看板だったのさ。

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