最新号では、ヤマハとのコラボ企画で6ページに渡るフィクションを書いた。このサイトでも発売日から読めるようにしている。このコラボのミッションとしては、当時の最高に盛り上がっていた8耐観戦者が、また行きたくなるページを作ることだった。そこで、このつぶやきから昭和60年の『鈴鹿8耐』に行ったタメ年男を募ったところ、結構な数の投稿をいただけた。加えて友人や取引先からも情報を収集して、そこからネタをかいつまんで、当時の自分の気持ちを混ぜ込んでいきストーリーを作ったのだ。そのベースの1つとなった、千葉県在住のタメ年男、村本真一さんの投稿をご紹介しよう。誌面ではスペース上だいぶカットさせてもらったが、こちらではどーんとご紹介させていただく。
3ナイ運動真っ只中の高校を卒業し、大学生になるはずが御茶ノ水の予備校へ通う毎日。そこで出会った仲間が音楽、野球、モータースポーツ好きのまさに昭和40年男の典型で、でもさすがに浪人1年目は鈴鹿には行きませんでした。翌年もまだ浪人してましたが(笑)、8耐にキング・ケニーが平さんとペアで参戦する報道にいても立ってもいられず、予備校時代の仲間と3人で父親のチェイサー(GX61)を借りて行きました。
初めてのレース観戦だったので金曜日と土曜日はとにかくサーキットの色んな所へ行きました。当時はまだ整備されていない所も多く、S字裏は舗装もされていなくてサンダルだと大変でした。スプーンが遠くて遠くて、バリ伝の秀吉はよくこんなクソ暑い中バイク押したなと思いました。
受け入れるサーキット側も大変だったかと思います。飲み物も最後の方にはなくなっていた記憶が。一緒に行った友人の1人が、たこ焼き屋の女の子の関西弁を聞いて「あんな可愛い子が関西弁を」とショックを受けていたのを今でも覚えてます。
サーキットではキャンプ生活でした。キャンプ場利用者はサーキットホテルのお風呂を使えましたが、この行列はすごかったなあ。それでもお風呂に入れるだけマシでしたね。それと何よりメリットだったのがキャンプ場はサーキットホテル内の扱いなので、いつでも出入り自由!オールナイトで営業していて、ゲームコーナーでは流行りのハングオンをみんなやってました。夜はサーキットに入れて、なんとコースにも入れたんです。今では考えられないのどかな時代で、ちょうど20歳になった頃ですね。
ケニー・平チームを中心にサーキット全体が回っていて、誰もがポール・トゥ・ウィンになることを信じていたような雰囲気でした。多分サーキットのスタッフもそう思ってたはず。それぐらいセンセーショナルな2人の参戦だったと思います。ホンダのホームサーキットなのに、超アウェイなホンダで追走するガードナーのライダー交代拒否を目の前で見て「ガードナー怒ってんな」と、これから起きる筋書きのないドラマが起きるとは知らずに呑気に見てました。
ゴールまで残り30分、最終コーナーの暗闇をゆっくり走ってくる21番が。そして目の前で止まった瞬間、スタンドから大きなため息が聞こえて、我々も「えーっ」と信じられずに見ていました。そしてピットウォールに沿ってバイクを停めた平はスタッフと何かを話をして、ヘッドライトを消したんです。
2スティント通しで走ったガードナーの勝利にかける闘志は今でも心に残っていて、全力を尽くして諦めなければ必ずチャンスはあると教えてもらいました。前が潰れたときにそこにいることが大事で、とても難しいことだけど、そこまでPUSHする姿は感動でした。最後まで諦めないホンダの徳野とガードナーの姿は今でも昨日のように覚えてます。
と、綴っていただき、貴重な写真も投稿してくれた。村本さん、ありがとうございました!!
どーも、本人です(笑)
掲載ありがとうございます。
昨日が誕生日で1日遅れのプレゼントになりました。
思えばこの時が人生初の一眼レフでした。
当時はフィルムも高かったのでシャッターは今どきと違って無駄撃ち禁止(笑)
流し撮りなんて知らず周りの方の見様見真似で撮影したのがこの写真です。
どうもありがとうございました。
ムラさん、この度は投稿ありがとうございました。おかげで好評をいただいています。
では、鈴鹿でお会いしましょう(笑)。