国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は今年令和元年の大晦日の70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手を振り返ってみましょう。第7回目は、この年の夏にすでに翌年の引退を発表していたキャンディーズと、この年大ブレイクしたピンク・レディーが、唯一そろって出場した昭和52年・第28回大会です。
花の~トリオは「卒業」!
桜田淳子、山口百恵と、1年先にデビューしていた森 昌子の3人は「中3」~「高3」までの4年間、同級生トリオと呼ばれ、何かと3人一緒に話題に上ることが多かったようです。この年の3月にはそろって高校を卒業し、武道館で卒業コンサートが行われ、「トリオ」という名称も解消されました。この卒業をきっかけに、三人三様、それぞれに大人の歌手への道を歩み始めることとなりました。紅組トップバッターで「気まぐれヴィーナス」を歌った桜田淳子は、冒頭の歌詞「去年のトマトは青くてかたかったわ~」を「~白くてダメだったわ~」と替え歌にする余裕も!白組トップバッターは新御三家のひとり、郷ひろみ「悲しきメモリー」で、いずれも当時のトップアイドル同士のフレッシュ対決で幕を開けました。
73年デビュー組の石川さゆり悲願の初出場
1973年デビューといえば、前述の紅組・トップバッター桜田淳子、山口百恵を筆頭に、浅田美代子や安西マリア、あべ静江らの活躍が目ざましかった年でした。同年デビュー組の中では地味な存在であった石川さゆりがこの年、「津軽海峡・冬景色」の大ヒットで、ついに初出場を果たしました。同期のアイドル陣に後れをとった形となった石川さゆりですが、その後、紅組史上最多出場を記録する歌手になろうとは、この時はまだ誰も想像していなかったかもしれません。2018年69回大会で41回目という紅組出場歌手としての記録は今後破られることはなさそうですね。また、松崎しげる「愛のメモリー」やしばたはつみ「マイ・ラグジュアリー・ナイト」、グループとしては森田公一とトップギャラン、ハイ・ファイ・セットなどの、アイドルとは一線を画すいわゆる大人の歌手の初出場が多かったことが印象深い年でもありました。
そして、大ブレイクのピンク・レディーと狩人のデュオ対決
出す曲がすべて大ヒットし、日本中に大旋風を巻き起こした紅組・ピンク・レディーが「ウォンテッド(指名手配)」で初出場。白組は「あずさ2号」で新人賞を受賞した兄弟デュオ・狩人と、この2番手対決も甲乙つけがたい対戦でした。日本レコード大賞で大衆賞を受賞したピンク・レディーは、子供や若者を中心に大人気! 一方の狩人は、兄弟息の合ったデュエットで新人離れした歌唱力が高い評価を受けていました。デビュー当時、弟の高道はまだ17歳、落ち着いて見える兄の久仁彦ですらまだ21歳だったというのが、今さらながら驚きです。
さてさて、ベテラン陣の活躍も忘れてはいけません! この年の紅白で、よくも悪くも唯一無二の存在感を見せていたのは、個人的にはちあきなおみではないかと思うのですが、「夜へ急ぐ人」という歌を覚えていらっしゃいますか?1972年に「喝采」で日本レコード大賞を受賞した、実力派のちあきなおみが歌ったその歌は、大晦日の紅白歌合戦という華やかなステージではいささか違和感が否めないという雰囲気もありましたが、「紅白の舞台」ということを考えなければ、渾身の熱唱という評価を受けてよいものだったのではないでしょうか。翌年以降は、結婚を機に芸能活動も抑え気味だったちあきなおみですが、80年代のヒットCM「タンスにゴン」では美川憲一との共演も強烈な記憶として残っているという人もいるでしょう。今は完全に引退されていますが、またいつか歌声を聴きたい歌手のひとりです。
※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P18~19に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)